三寺町の西、小高い尾根の上にある。神社への参遺は南側から登る新道と西側から入る古道とがある。 社前を石か原といい。社名と関係あるとする。 御巫清直の『神社検録』では式内社としての形状に適うとしている。 『三国地志』によれば、当社は比々留明神祠と呼ばれ、比々留明神はひびる谷、つまり昼生七郷の総社として崇められていたという。 |
石神社 其村(三寺村)ノ産神村ノ西ナル小山二在、広大ノ社地ニシテ、樹木欝葱シ兆域ノー鑿壁鑿セルカ如シ、實二千歳ノ旧祠ト見ユ、社前ノ田ヲ石カ原卜云ヒ、東ノ谷ヲ天神カ谷、北ノ谷ヲ岩ノ谷ト字ス、西ハ馬場ノ畠二列リ、ママニ古道アリテ域内二人ル、礼南ノ小山二嶮路ヲ開キ、鳥居ヲ建テ扁額ヲ掲ケ正一位晝生大明神ト記ス、文化年中ノ所作ナリトソ 御巫清直『神社検録』 |