川俣神社
かわまたじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】川俣神社 伊勢国 鈴鹿郡鎮座

   【現社名】川俣神社
   【住所】三重県鈴鹿市西富田町709
       北緯34度52分24秒,東経136度30分13秒
   【祭神】多紀理毘売命
       (配祀)経津主命 武甕槌神 玉依毘売命 品陀和気命 息長帶比売命
       崇徳天皇 大穴牟遅命 金山毘古神 八街比古神 八街比売神 久那斗神

   【例祭】10月8日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】由緒不詳
       明治4年8月郷社
       同41年6月に和泉の川俣神社に合祀
       昭和23年11月現地に分祀

   【関係氏族】川俣氏
   【鎮座地】同41年6月に和泉の川俣神社に合祀
       昭和23年11月現地に分祀

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「八王子」と称していた
   【社殿】本殿神明造
       拝殿・物置・手水舎

   【境内社】

安楽川の川沿にあつて、昔は庄野から亀山に通じる東海道の道筋に面して賑わつたところである。和泉橋の北、堤防の直下に鎮座する。
中世の記録に「川俣神」として散見しているが、資料価値に疑問があるとされている。
当社は数多い川俣社のなかでも、亀山藩において式社に比定されている。
『亀城兎園記』の西富田条に「社八玉子・八幡・天神 貮拾五間四間 村之西」とあり、古くは八王子と称されていた。中世近世を通じ宝殿その他社殿の造営が行われているようにみられる。特に正和2年(1313)、貞治6年(1367)、至徳3年(1368)の練札がある。
明治4年(1871)8月郷社に列格し祠官が置かれた。同41年(1908)6月中富田町の川俣神社と共に和泉の川俣神社に合祀された。その後昭和23年(1948)氏子の総意により分祀された。


伊勢国INDEXへ        TOPページへ


学校データ