鈴鹿川の本流と安楽川とが出合うところ、平和橋の北に鎮座している。本殿は堤防の上に鎮座。まさに社名の川俣に合致した地勢である。 古くは八王子と称された。当社の鍵取別当は同町の舟井山泉幅寺であつて、江戸時代においては同寺が管理にあたつた。 明治41年(1908)4月井田川村各地に鎮座の諸社を合祀するに至った。昭和26年3月、各村の氏子の総意により中冨田、西富田の川俣神社等を分祀し現在に至っている。 |
由緒 当社は明治41年4月11日許可受けて岡太神社に合祀された。昭和2年10月14日氏子の総意によって社殿等設備を整え分祀して元の社地に奉斎したが、非公認の神社であった。昭和26年3月5日承認を受けて宗教法人令による神社本庁所属の神社として設立承認登記された。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |