那久志理神社(旧地)
なくしりじんじゃ
所在地 社名















   【延喜式神名帳】那久志理神社 伊勢国 鈴鹿郡鎮座
          (現在社)能褒野神社に合祀

   【現社名】那久志理神社(旧地)
   【住所】三重県亀山市田村町
       北緯34度53分1秒,東経136度29分13秒
   【祭神】
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】当社の由緒については詳らかでない
       宝暦頃には式内那久志里神社と称されていた
       明治初年に那久志里神社として村社に列格
       同41年には能褒野神社に合祀

   【関係氏族】
   【鎮座地】現在は倭武尊の碑がある
        この地にあったという
        奈久志里神社跡、東荒寺跡と刻まれた石碑が建っている。

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「富士権現」と称していた
   【社殿】
       

   【境内社】

当社の由緒については詳らかでない。
宝暦頃には式内那久志里神社と称されていたものと推定される。明治初年に那久志里神社として村社に列格、のち同41年には能褒野神社に合祀された。




倭建命(ヤマトタケルノミコト)之碑
【御由緒】
倭建命は、今からおよそ千六百年前に活躍された人で、当時の天皇(父親)の命令で日本の各地へ遠征し、国内の戦乱を平定されたとされる古代の英雄であり、その神話は今でも人々に永く伝えられています。
東北地方の戦乱を平定された後で、故郷を偲んで和歌を詠まれ、能褒野の地でその短い生涯を閉じられました。
尚、倭建命が東北の地に遠征した時、その地に子孫を残されて、その子孫が何年かの後、天狗の姿に身を変えられ亡き父(倭建命)のお墓がある能褒野に辿り着き、その後此の地に住み着かれ原家の御先祖様になられたとのことです。
水乃神の碑
【御由緒】
此の碑は、倭建命の妻であった弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)をお祭りしています。
弟橘比売命は夫の倭建命が遠征の時、荒れ狂う海に自ら飛び込まれて、荒海を鎮め夫を助けられたとされる神話が永く伝えられています。
この神話が水にまつわるとのことで、水乃神様として倭建命の側にお祭りしました。
御夫婦の石碑をお祭りするに当っては、滝川龍神三大不動尊の神々様のお導きに依るもので謹んでお受けし、倭建命や弟橘比売命の神話を後々の世の人々に永く伝えて行く為に此の地に碑を建てさせて頂きました。
皆々様、何事にもよらず誠の心、信じる心でお祈りし掌をお合わせ下さい。
平成十六年甲申十月吉日

社頭掲示板



那久志理神社

那久志理は仮字也〇祭神長白羽神、(考証、俚諺)〇名越村に在す(国史、俚諺)

神社覈録



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