寛永11年(1634)に紀州藩の別邸と代官所を創設するとき時,久留真神社を移転したが,その氏子が南北の二派に別れた。 北側(白子駅に近い方)の住民が栗真にあった「八重垣神社」と「勝手明神」を遷して一社にし,現在の地に『勝速日神社』をつくった。 文政4年(1821)に産神たる福徳天王社と和田の勝手明神との間に式内の久留真神社を争う訴訟があり、紀州藩の裁決によつて天王社の方に決定された。(現久留真神社) 当神社は文字通り「勝=Victory」「速=speed」「日=Rising Sun」という、モータースポーツを連想させつつ縁起の良い漢字が並んだ名前の神社であり、また鈴鹿の玄関口 白子駅にほど近いなど、モータースポーツのまち・鈴鹿にふさわしいことから各種のイベントが行われている。 |
勝速日神社祭礼用山車 市指定文化財・有形民俗 勝速日神社祭礼用山車 昭和49年11月25日指定 西町・中町・東町・山中町 勝速日神社の祭礼に用いる屋台で、毎年春の祭礼日(4月中旬の土・日曜日)には、各町内で保管されている屋台がこの神社に曳き出されます。合計四台で西町・中町・東町・山中町の四自治会に属します。 木彫りや黒漆塗りに彫金具を施した豪華な屋台には、江戸時代末期の刺繍幕や錦織物の華麗な染織懸装品が飾られ、それらが完存していることも屋台の価値を高めています。 本屋台は江戸時代の形態をほぼそのまま受け継いでおり、当時の祭礼文化を知る上で貴重です。 氏子や地域の人々の努力により修理を行いながら今日に至っています。 社頭掲示板 |
勝速日神社 当勝速日神社は文明(室町時代)以前の創建と言われ創建時は八重賀岐神社として素戔鳴尊(牛頭天王)と(出雲の国で八岐大蛇を退治された)稲田姫命の二柱が祀られていた。 祭神は正勝吾勝勝速日天之忍穂耳尊・建速須佐之男命の二神と天御蔭命・櫛稲田姫命の四柱を主神としている。寛永11年八重垣神社の神域に龍源寺の境内に祀られていた勝手明神(天之忍穂耳命・天御蔭命)の二柱を遷し元禄に至るまで二社を相並ペマ祭祀し奉り元禄以後一社殿として、近郊の多くの人々の信仰を集めた。 明治41年付近の小祠を併せて字境の春日神社(祭神)武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比盗_を合祀し勝速日神社と単称され主神は英遇優秀福耳をもたれた等で特に勝運に優れ人々を慈しみ御神徳を授け給い五穀豊穣、商売繁盛、学問向上と崇敬者の信仰を深めている。 勝速日神社 社頭掲示板 |