集落の北、山裾に鎮座する。 隣が福徳寺であり、拝殿は寺のつくりである。 往古は当地の南西社300m宮地というところにあったが、いつ頃か社殿が潰廃して、別当寺の観音堂福徳寺へご神体を移した。 永正12(1515)福徳寺が火災に罹り焼滅したので社殿を地区西端に近いところに建立して「服織社」と称し「扇神」と云った。 その後明治41年5月地区にあった他の7社と共に上野神社に合祀、昭和3年1月再び分祀、今の地に、他の7社も合祀して社殿を建立した。 |
服織神社 この神社は延喜式内社で、庵芸郡13座のT座である。服織りは機織りの義で、天照皇大神は農業養蚕機織りを奨励され、天の服織り女をして神衣を織らしめ給うたにより、祭神として奉祀したのであろう。 往古は当地の南西社宮地というところにあり、当地方服部郷の信奉の社であった。 いつ頃か社殿が潰廃して、別当寺の観音堂徳寺へご神体を移した。 永正12(1515)福徳寺が火災に罹り焼滅したので社殿を地区西端に近いところに建立して「服織社」と称し「扇神」と云った。 その後明治41年5月地区にあった他の7社と共に上野神社に合祀、昭和3年1月再び分祀、今の地に、他の7社も合祀して社殿を建立した。 式内社の当時は「羽織社」と称えていたことが石碑にみえ、付近に衣手谷(きぬてだに)、服反田(はだんだ)、社宮神(しゃぐじん)などの地名が残っており、その信仰は今の社にも受け継がれ「扇神」「扇さん」「オオギリさん」と慕われている。 社頭掲示板 |