尾根の上の神社。集落の奥。叢林有り。明治36年までは「宇気比神社」と呼称されていて、式内社と見徹されていなかつた。 伊奈富神社と祭神同じとの説あり。古く伊奈富神社を勧請ともいう。 境内に『春日真井』という由緒ある古井戸が残されており,社伝によると伊勢神宮創建の頃にできたという。この井戸は雨壺ともよばれ,『河芸郡史』には伊勢の三神水のひとつに数えられている。古来より旱魃の時祈願し雨乞をすれば,その霊験著しく,五穀は豊穣となり福が授かるという。 当社の瑞籬の麓の井戸を眞井(まない)と称し、古来より旱魃の時当社へ祈請し雨を乞うときは神応著しく忽ち霊験を賜う。神書紀に曰くとして神代に天の真井の水を丹波国與謝郡に移させ給う所を真井ケ原と云い、この称は古代に起こったものと言う。 |
由緒 当社の創立は天智天皇治下大伴倉麿建立酒井神社名は神池の泉に酒が湧き出たとの伝説により池より流れる川の名を酒井田川と云い神社名を酒井神社と謂ふに至る。式年大祭は四年毎に獅子舞をお旅所に於て実施する。平安時代高倉天皇治下(約700年前)獅子舞が行なわれたことより連綿今日に至る 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
酒井神社 傳記二當社瑞簿ノ麓二井アリ、眞井(マナイ)ト称シ雨壺ト唱フルモノアリ、当國二在リテ神都内宮徳居野登ノ三所二神水アリ、古來ヨリ旱越ノ時当社へ祈請シ、此雨壷ヲ開キ雨ヲ乞ブ痔ハ神応著シク、忽チ塞験ヲ賜ヒ、五穀ヲ湯潤シ、里民二幸幅ヲ給ブト、村中ノ慣習年久シク傅へ性トナリ、神水ヲ墾皆貴重スル「トナレリ、案二神書紀二日ク、神代二天ノ眞井ノ水ヲ丹波國與謝郡鴎論齢綴ノニ移サセ給フ、其処ヲ眞井ヶ原ト称スト、翼井ノ聡謂ハ古代二起リシ者ナラム、又人皇十一代垂仁天皇ノ御宇二皇女倭姫命、神ノ御激ニヨリ天照大神ヲ伊勢ノ五十鈴川上二御遷座在ラセ給フ時、眞井ヲ神都二遷ナセ給ヒテ天ノ忍穂井ト称セラレシトキ、當社ノ眞井モ其頃天ノ忍穂井ノ神水ヲ遷シ、恩澤数千載ノ今日二至ルマデ當村人民モ其漁潤ヲ蒙ムルナラムト傳聞セリ。 昭和27年神社明細帳 |