中の川の西岸近く、伊勢自動車道の南に鎮座。 事忌神社はその所伝を全く失なっており、その由緒の一端でもこれを明らかにすること極めて困難である。 江戸時代には全くの不明社となっていた。 当時「八宝天王」と称していた社を、式内社に比定し明治に入って事忌神社と改称した。 |
事忌神社 当神社は、延喜式内社でコトイミの字義は定かではないが、古太萬(こだま)に由来すると考えられており、木霊(こだま)を祭神とするのではないかとの説も研究者の間では唱えられている。今祭神名を見るに木花咲屋姫命、大山祇命二柱は正に木の精山の精と考えることができよう。里人の口碑によれば、御祭神の殊のほか女子の月事を忌み給うことから女児婦人の祭礼時の参入を許されなかったということで、もしその禁を破った時は必ず怪異を生ずるとして恐れられてきたということである。神社の東南にコトガメの地名がある。これは、事忌めの意で事忌の名もこれによるのではないかという説がある。木霊を祀るにふさわしい地名として「林」が選ばれたなど未解明の点が多い神社ではある。明治40年12月26日、林地内の無格社ことごとくを当社に合祀した。 皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会 |
事忌神社 事忌は古世伊美と訓べし〇祭神詳ならず、(考証云木霞、勢陽俚諺云木俣神)○林村に在す、(考証、俚諺) 社頭掲示板 |