小川沿いに慈眼寺がありこの中の観音堂の中の小祠。 往昔より七社大明神と称えられ、見初大明神の神殿に八王子、稲荷、八幡、春日、神明、大梵天王七座神を奉祀して尊崇を得た。 御巫清直の『伊勢式内神社検録』は大古曾村の東南の隣邑中野村所在の七社大明神と俗称する社祠こそ大乃己所神社なりとした。 中野村の大乃己所神社は明治41年5月、大古曾村の大乃己所神社に合祀された。 現在社は戦後、九戸という地元一部の人々によつて分祀を受けて設営されたもので、現在宗教法人としては未公認の神社である。 |
由緒 鎮座地 津市一身田中野694 御祭神 譽田別命 大日霊命 豐受宇氣比賣命 足名椎命 建速須佐之男命 天兒屋根命 手名椎命 大山津見神 御例祭 10月9日10日 由緒 天應元年(781)酉年8月11日鎮座との申し伝えがある。往昔より七社大明神と称えられ、見初大明神の神殿に八王子、稲荷、八幡、春日、神明、大梵天王七座神を奉祀して尊崇を得た。神殿床下に獅子頭一口を収蔵し、閏年の前年2月節分よりこれを舞わし、戦前は稲生町の伊奈富神社の大祭に参加していた。明治41年大古曽の大乃己所神社へ合祀されたが、昭和26年大古曽の大乃己所神社より分祀され現在に至る。 獅子舞は津市指定無形文化財に指定されている。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
民俗芸能中野獅子 昭和58年9月5日指定b 獅子舞の紀元ははっきりしないが、むかし伊勢国に疫病が流行したとき、一本の大椿から33体の獅子頭を作り、各地の神社に分けて舞ったところ疫病がなくなったと伝えられる。昭和57年まで使用していた獅子頭がそのうちの1つといわれ、明和元年(1764)の銘があり、現在は隣にある見初大明神の御神体になっている。 舞は3年に一度の旧正月に、頭1名、あと舞1名、口取り1名、笛3名、太鼓1名の7名で行われ、あと舞と口取りは小学生の男子がつとめる。舞には「段序」「田楽のひねり」「乱舞」「喰い起こし」「扇の舞」「しのび」「花の舞」の7曲があり、幕間に田植えのまねをする「田遊び」と、湯立て神事のまねをして、その後みかんをまく「みゆ」が行われる。 津市教育委員会 社頭掲示板 |