集落の中JR紀勢本線の南に接して鎮座している。 創立後の由緒について徴すべきものがなく、これを明らかにしがたい。 享保には天満宮八王子両社と呼ばれていた。 この両社が延享3年には「正天神社」「正八王子社」と称され二殿一棟に奉祀された。 この「正天神社」が多爲神社の遺存とされた。 度会延経の神名帳考証に多為神社稲靈とある。 明治に入って社名を変更した。 |
多爲神社 多爲は假字也、和名鈔、(郷名部)田井、(多井)○祭神稻倉神、(考証、俚諺)○山田井村に在す、(同上) 類社 河内國丹比郡田坐神社の條見合すべし 神社覈録 |