安濃川の上流にあって、川が錫杖ケ岳と摺鉢山との狭谷から平野部に出ようとするところの南岸山腹に鎭座している。 康和5年(1103)・寛元2年(1244)・弘治元年(1555)等の棟札が残っており、かっては「溝淵大明神」と称された大社であった。 康和5年の棟札は、本物ならば日本最古のものになるという。 当社は往時、溝渕大明神(溝淵大明神)と称えられていたことから、雲林院家の御祖氏神(みそうじのかみ)を祀ったものとする説もある。 |
美濃夜神社 景行天皇3年初めてこの地に金山彦命を祀ったと「伊勢惣国風土記」と「槁本家文書」には記されている。「延喜式神名帳考証」には美濃夜は「水之祖」みのおやの意であるとして祭神に彌都波能賣神をあげている。また本社を溝渕大明神と称えていたことから、雲林院家の御祖氏神を祀ったものとする説もあるが御祭神の中に子の神の御名は見えない。康和5年(1103)忍田地頭宗重の棟札が残されていることから雲林院氏抬頭以前、平氏の時代から衆人の崇敬が厚かったことが伺える。察するに、雲林院氏が天正の乱に失脚するまでは、春秋の祭礼も盛大であったようで往時を偲ばせる棟札十数枚が残されている。明治41年3月村内にあった無格社一六社を合祀して今の姿になった。 三重県神社庁 |
雲林院かんこ踊り 津市指定無形民俗文化財 伝承者 雲林院かんこ踊り保存会 雲林院かんこ踊り 平成17年12月21日指定 雲林院に伝わるかんこ踊りで、毎年体育の日を中心とする3連休の2日目に美濃夜神社境内及び雲林院地内各所で実施されています。 かんこ踊りは農村地域との関係が深く、雨乞いの時には「雨もたれ」として願礼踊りの目的から踊られた時が多くありました。 衣装から見ても一文字笠に乙女姿は、風流系の踊りに入るもので、しなやかさの中に迫力のある踊りです。中央の大太鼓(中太鼓)を中心にかんこ太鼓をもった若者が輪になって踊ったり、一列になったりします。 萩野かんこ踊り歌本には、井ノ宮踊、明神踊、住吉踊、牛若踊、長者踊、御庭踊、肥後踊、恋ノ踊、四季踊、桜踊、金(甚)ノ木踊、御寺踊、錫杖踊、井水踊、御城踊がある。この他に別の本の中にお江戸踊、鳴海踊、山伏踊、白山踊、八王子踊、小神投踊があります。 津市教育委員会 社頭掲示板 |
美濃夜神社 美濃夜は假字也〇祭神金山彦命〇雲林院村に在す、今溝淵神社と称す、(雑記、国史)〇風士記残欠云、美濃夜神社、圭田二十三束三毛田、所祭金山彦也、 雑記云、往昔は社領七十五貫あり、天正年中の乱に失却して、古の印社頭の棟札のみ残れりと也、それも今は有つるやらん、安濃郡において是を乾の鎮守とし、八幡を巽の鎮守と仰ぐよし、俗の諺也、』伴信友云、当社前なる川を美濃屋川どいふ、 神社覈録 |