小丹神社
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   【延喜式神名帳】小丹神社 伊勢国 安濃郡鎮座

   【現社名】小丹神社
   【住所】三重県津市上浜町6-56-1
       北緯34度44分19秒,東経136度30分31秒
   【祭神】埴夜須毘売命 大山祇神
       (配祀)須佐之男命 誉田別命 月夜見命

   【例祭】10月11日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】景行天皇の御代に勧請
       明治6年3月村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】往古は安濃郡小丹郷に御鎮座
        明応7年(1498)地震高波の為に神社と郷民は小丹塩屋に遷移
        慶安3年(1650)大洪水あり、神社を上浜西の山(現地)に遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】流造柿皮葺
       素屋・拝殿・奏樂所・社務所

   【境内社】稻荷社

安濃川と志登川にはさまれた所で、丘陵が南西より伸びて来た東南端にある。
景行天皇の御代に勧請とされている。
昔は安濃郡に鎭座したが明応7年の地震高浪により社地浬没、其後小丹ケ塩屋の地へ遷座したが、この地で海辺の事多く、水難もあった。 慶安3年大洪水あり、神社を上浜西の山(現地)に遷座した。明治6年3月に村社となった。
境内社に、宮山稲荷大明神・鶴宮(鶴神社)などがある。鶴宮に向かう参道には、鶴宮と刻された江戸時代中期の宝永5年(1709年)銘がある常夜燈がある。
鶴宮は、寛永年間(1624年-1645年)、藩主二世祖の藤堂高次がたまたま鶴を射止めたことをめでたいことの前兆であるとし、高次が社殿を建立したのが始まり。


由緒

一、 御祭神
主神 埴夜須毘賣命 須佐之男命
一、御例祭 10月11日
一、御鎮座の由来並に沿革
1、 社伝に「景行天皇の御代に勧請す」とあり御鎮座の悠遠なことが窺はれる。
1、 延喜式内社、 今を遡る 1050年余年前醍醐天皇の御代延喜の制、神明式に「伊勢國安濃郡十座、小丹神社」と登載されてあり、千古の歴史を有つ古社であります。
1、 往古は安濃郡小丹郷に御鎮座であったが、「明応7年(480余年前)地震高波の為に神社と郷民は小丹塩屋に遷移す」、移る数日間に小丹郷と社地は陥没して海と化してしまった。其の後「慶安3年(320余年前)大洪水あり、神社を上浜西の山に遷座す」と即ち現在の鎮座地であります。
1、 氏子並びに崇敬者
上浜町、江戸橋町、栄町四丁目旧余慶町一円、栄町一丁目旧茶屋町一円、桜橋二丁目、仝三丁目南北旧松本崎一円、大谷町等広域の産土神として鎮守神としてその尊崇が極めて篤い。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



小丹神社

式内 小丹神社
一、御祭神
  主神 埴夜須毘売命 須佐之男命
一、御例祭 10月11日
一、御鎮座の由来並に沿革
 一、社伝に「景行天皇の御代に勧請す」とあり御鎮座の悠遠なことが窺われる。
 一、延喜式内社 今を遡る1050余年前醍醐天皇の御代延喜の制神明式に「伊勢国安濃郡十座 小丹神社」と登載されてあり、千古の歴史を有つ古社であります。
 一、往古は安濃郡小丹郷に御鎮座であったが「明応7年(480余年前)地震高波の為に神社と郷民は小丹塩屋に遷移す」移る数日の間に小丹郷と社地は陥没して海と化してしまった。其の後「慶安3年(320余年前)大洪水あり神社を上浜西の山に遷座す」と即ち現在の鎮座地であります。

社頭掲示板



鶴宮の由来

「往昔 現社地ハ人家ニ隔絶シテ芝生ノ原野タリ偶々寛永年間津藩主二世祖藤堂高次公野猟ノ際 該地ニ於テ一羽ノ鶴ヲ射留ラレシニ殊勝優秀ナル鶴ナリ」とその由来が書かれている。高次がたまたま鶴を射止めたことをめでたいことの前兆であるとし鶴之宮という社殿を建て明治維新まで津藩が管理した。しかし、明治40年(1907)に小丹神社に合祀し社殿は小丹神社に移しその跡に碑を建てたと記るされている。碑は現地である上浜町一丁目の公園に現存する。
平成4年9月号市政だより写

社頭掲示板



小丹神社

小丹は乎爾と読り〇祭神詳ならず〇郡田の東畠中に小き森是なり、(俚諺)
伴信友云、神鳳抄に小舟別各三斗、」村名帳に小船村あり、連胤按るに、是に拠れば丹は舟の誤りならん、越前國今立郡舟津神社の舟ノ字も、丹に誤り來れると同じ類ひ也、

神社覈録






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