渋見の丘陵の上のごく小社。長法寺と渋見町集会場があり、その隣に併設されているような小社。 明治41年国魂神社へ合祀されたが、現在も社殿はそのままに存続し、西出の住民の祭祀をうけている。 開化天皇の皇子日子坐王の皇子三柱のうちに志夫美宿禰王はあり、この王は「佐佐君之祖也。」と見えるので、佐々君が祖神として「志夫美宿禰王」を祭つたもと推定されている。 |
志夫美神社 志夫美は假字也○祭神詳ならず○渋見村に在す、(考証、俚諺)○古事記、(開化段)日子坐王、娶山代荏名津比売、生子、次志夫美宿禰王者、佐々君之祖也、 神社覈録 |