置染神社
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   【延喜式神名帳】置染神社 伊勢国 安濃郡鎮座

   【現社名】置染神社
   【住所】三重県津市大字産品484
       北緯34度43分21秒,東経136度27分0秒
   【祭神】神饒速日命 天照大御神
       (合祀)火産霊神 仁徳天皇 須佐之男命 大山祇命
       『神名帳考証』『神名帳考証再考』神魂命
       『三國地志』『日本惣國風土記』大鷲津命
       栗田寛『神祇志料』置染連の祖阿居太都命

   【例祭】4月2日 例祭
   【社格】
   【由緒】垂仁天皇御代鎭座したとある

   【関係氏族】置始連
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「生土神社」と称す
   【社殿】本殿神明造
       拝殿

   【境内社】

岩田川と安濃川の支流である穴倉川の間にあり、長谷山の東麓の丘陵地帯の東端、集落の北西隅の山腹に鎮座する。
置始連の一族が氏神として祭つた神社と考えられる。
社伝によると、もと二社があつて、一社は神明宮で、内宮の産階御園にあるために天照大神を祀り、もう一社は、長谷置始連の祖饒速日命を祭り産神としていたが、文化文政時代に二社を合一したという。
この地は伊勢平氏発祥の地であり、伊勢平氏の氏神と思われている。


由緒

鎮座地 津市大字産品484
御祭神 神饒速日命 天照大御神 火産靈神 仁徳天皇 須佐之男命 大山祇命
例祭 4月2日
由緒
創祀は、延喜以前であるが年代は不明である。長谷置染連がその祖先、神饒速日命を祭り産土神としたのが創祀と伝えられる。明治40年に山神社を、明治41年に若宮八幡社、須賀神社を合祀した。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




置染神社

天照大神 饒速日命 火産霊命 大山祇命 仁徳天皇
本社神殿もと2区に分かれたり産階御園に天照大神を奉祭する神明社あり文政の頃(1820)2社を合祀する。
第11代垂仁天皇御代五十鈴川に伊勢神宮を創祀するや安農津は外護申し国造りける。
本邑置染神社は同郡塔世に祀るところ後にこの地に移せり。
置染は置始にて本郡の宗社なり。長谷連が其の祖饒速日命を祭り産神とせしものなり、長谷連はにの7世の孫大新河の後裔なり。姓氏に大椋連と伝へり始を染と延喜式にのせたり。今の産品に祭り生土神社を産土と称すなり、この西、長谷−椋谷と呼ぶ邑字は−生土−産土−産須那−産品平氏この地に在居する氏神なりと思われる。
系図−饒速日命−七世大新河−長谷連(大椋連)大椋太郎(産品の祖)と記録あり。
産品史跡保存会

社頭掲示板



宝篋印塔

宝篋印塔 平正盛の墓
お経を埋たる供養塔である。旭晶寺堂ヶ谷(西方300m)に於て信長の兵火に焼かれる(1575年)この墓も境内に在り(二十数基)法塔忠盛塚に移される。その後旭晶寺再建(1785年)境内に移される。
正盛は源氏とならび平氏台頭の基礎をつくる。忠盛それを嗣ぎ益々勢力をありつ、京都六波羅に移るも忠盛、清盛ら伊勢の国に往来あり忠盛宮中昇殿の栄達も父の遺徳なりと命日4月2日に供養した宝篋印塔(ほうきょういんとう)であると云われる。
氏神置染神社に於て4月2日は祖先代々から年中行事として行われる。(宮殿祭)忠盛の墓は多気町河田に在り関東から維衡―正度―正衡と嗣ぎ正盛の孫清盛は天下に栄へその孫維盛の時、平氏は壇の浦で亡ぶ(1185年1月24日)昭和34年8月15日大豪雨あり旭晶寺全倒し墓荒廃せしをこの墓苑を創り安置す。
東の墓地(東方100m)十基余 鎌倉時代か?西の墓地(西方300m)十基余 平安鎌倉時代か?
三ヶ所四十数基は先祖、平氏にまつわる宝塔であると信じてこそ心を移し供花をなす。
 産品歴史保存会

社頭掲示板



置染神社

置染は、於岐曽女と訓べし○祭神阿居太都命、(洞津考)○産品村に在す、(考証、俚諺)〇姓氏録、(左京神別中)大椋置連、県犬養同祖、阿居太都命之後也、また縣犬養宿禰、神魏命八世孫阿太都命之後也、
源親房卿洞津考に、安濃ノ傍爾ハ、塔世ノ東力シ(河岸)ニアル楠ノ林トゾ申伝へキ、其左ニアコタチノ社、オキ染ノ氏社フタツナラビシモ、今松ノ浜風ノ音サヘタヘヌ、此二社ハ阿濃ノ柱宮也、カタガタオロソカナラスヤウニアランカシ、連胤按るに、洞津考の意をおもへば、風土記残欠に、安濃神社、圭田三十二束三字田、大神宮之神戸之地也とあるは、当社の事か考ふべし、神鳳抄に、産階御園あり、

神社覈録



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