敏太神社
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   【延喜式神名帳】敏太神社 伊勢国 一志郡鎮座

   【現社名】敏太神社
   【住所】三重県津市戸木町2436
       北緯34度40分53秒,東経136度26分55秒
   【祭神】彦火火出見命 豊玉姫命
   【例祭】 10月9日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】奈良時代の創建という
       紀貫之が古今和歌集の勅撰のとき(905)参拝
       明治41年2月20日村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「風早大明神」と称していた
   【社殿】本殿権現造
       拝殿・手水舎・社務所・祭器庫

   【境内社】

伊勢自動車道久居IC西1km、風速池南500mに鎮座する。
山腹の大社で見事な社叢があり、馬場も長い。
伝承によると奈良時代の創建といわれ、紀貫之が古今和歌集の勅撰のとき(905)参拝したとも伝えられている。戦国時戦国時代には木造氏の守護神として、江戸時代には久居藩藤堂氏の祈願所として崇敬を集めた。


宮山城址

天文23(1554)年、木造具政が戸木(へき)の地を隠居し、戸木御所と言われました。戸木御所は戸木城を堅牢なものとするとともに、宮山(敏太神社の北側の丘)の頂上付近に出城として宮山城を築きました。
宮山城の主郭部分は、頂上部分で一辺約20mの正方形の平面をもち、その周りに土塁を積み上げています。主郭の周りには空堀、土塁が巡らせていました。
天正12(1584)年、大阪では豊臣秀吉が全国を統一し関白になりました。
戸木城の城主は木造具政の子ども木造長政でした。同年5月に蒲生氏郷軍が戸木城を囲み、この時、宮山城は蒲生軍に攻め取られました。
現在は、主郭部分に稲荷社が祀られてますが、土塁、空堀などはよく残されており、中世の山城の姿をとどめています。

社頭掲示板



戸木東組かんこ踊り

津市指定史跡民俗文化財
無形民俗文化財 戸木東組かんこ踊り
津市指定史跡民俗文化財
無形民俗文化財 戸木中組かんこ踊り
津市指定史跡民俗文化財
無形民俗文化財 戸木西組かんこ踊り
戸木町に伝承されているかんこ踊りで、十月に法然を祝う踊りとして継承されています。
現在踊りは、戸木東・中・西組かんこ踊り保存会が継承していますが、祭りが始まった頃は敏太神社に組織された東・中・西組「神明講」の踊りでした。
旧久居市内の他地域のかんこ踊りが農村の地縁的結合の中で継承されてきたのと異なります。
踊りの初現を示す明確な資料はありませんが、西組の鞨鼓の胴内部に文政元年(1818)修理の墨書銘が残されていることから、十九世紀には成立していたと考えられます。
伝承団体
  戸木東組かんこ踊り保存会
  戸木中組かんこ踊り保存会
  戸木西組かんこ踊り保存会
津市教育委員会

社頭掲示板



敏太神社

敏太は三乃多と訓ベし、和名鈔(郷名部)民太(假字上の如し)○祭神詳ならず○日置郷戸木村に在す、今風早社と称す(考証俚諺)、
連胤云、敏の字を美奴と読は、万葉集六に、過敏馬浦時作歌、眞十鏡見宿女乃浦者、云々、また山部宿禰赤人の同時の長歌、三犬女乃浦など見え、摂津國八部郡敏売神社も、一本には敏馬とあり、

神社覈録



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