雲出川の河口に近い南岸にある水田地帯の中の集落に鎭座する。式社の立地条件としては十分でないと思われる。 古来須弖神社と称したのを、明治38年8月13日波弖神社と改称した。 |
波氐神社 七夕伝説 星合の浜 白砂青松の浜だった地 文政2年(1815年)群馬県黒熊「三木貞樹家文書」の道中日記の中に星合村と申処七夕の社有り、拝礼いたし、それより六軒に出て、この道廿丁ばかりと承り候処、殊の外遠し、と記されています。 又、伊勢紀行(永享五年)等の 古文書によると、かなり昔から七夕が祭られていたことがわかります。 波氐神社(星合神社)には多奈 波太姫が祭られています。その 近くには、織姫と彦星が年に一回出合うという天の川があり、 そこに架けられた橋は、実は鵲という鳥であると、この地方に七夕伝説として伝わっておりま す。 「鵲橋・南へ200M」の袂に、明治36年(1903年)に建立されたといわれる「鵲橋之碑」が建っております。 この碑文の中に「鵲の渡せる橋におく霜の、白きを見れば夜ぞ更けにける」と、奈良時代の歌人で三十六歌仙の一人とも言われた大伴家持の歌が刻まれており、この地方に七夕伝説として伝わっております。 社頭掲示板 |
波氐神社 波氐は假字也○祭神多奈波太姫、(考証)○呉服郷星合村に在す、(俚諺)○神鳳抄云、波氐御厨、」神宮雑例集云、一志郡波氐御厨、内宮御領、 考証云、今波氐村在曾原村辺、(村名寄を考ふるに波氐見えず』勢陽俚諺に、披氐は星合の古名也、と云り、其星合村の南に小祠あり、星社と云、』背書國史にも星合村と云り、 神社覈録 |