須加神社
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   【延喜式神名帳】須加神社 伊勢国 一志郡鎮座

   【現社名】須加神社
   【住所】三重県松阪市嬉野権現前422
       北緯34度37分20秒,東経136度28分55秒
   【祭神】道主貴神
       (合祀)素盞嗚尊 大日霊貴命 天児屋根命 御食津神 応神天皇
       迦具土神 大国主神 五男三女神 大山祇神 仁徳天皇 八島士奴美尊
       奇名田姫命 足名椎命 手名椎命 天忍穗耳命
       『神名帳考証』道中貴神

   【例祭】10月8日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       明治5年7月村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「須加権現」と称していた
   【社殿】本殿神明造コンクリート建
       拝殿・社務所・手水舎

   【境内社】

雲出川の支流である中村川と三渡川の間の平地に鎮座する。集落の北東隅の丘の上の神社。嬉野体育館の南に隣接する。
石段には万福寺と刻んだ石があり、神仏習合の跡が見られる。石段横に「天の真名井」とされる井戸もある。
垂仁天皇18年4月倭姫命が鈴鹿の忍山からこの地に移り給うた時、阿射加山に荒ぶる神がいて難渋し、大若子命に命じて、その神を鎮めたという。





須加神社

須賀の里の産土神であった須加神社は、延喜式神名帳にも記載された古社である。
祭神は、道主貴神即ち宗像神社の三女神である。
多紀理姫命、市杵島命、多岐津姫命を祀る。
明治41年川原木造の八雲神社を除く旧豊田村全域の神社を合祀する。
境内には、「天の真名井」と呼ぶ天然の井戸がある。
その底ははかり知れず、俗に山辺の清水という。
当社の遷宮は21年目毎に行われる。
嬉野町教育委員会

社頭掲示板



須加神社

須賀の里の産土神であった須加神社は、延喜式神 名帳(927年)にも記載された古社である。
江戸時代には須加権現と称された。
主神は道主貴神の宗像三女神「多紀理姫命 多岐津姫命 市杵島姫命」である。道中の安全を守る道主貴神は、奈良桜井と松阪六軒を結ぶ初瀬街道を行く旅人の参拝を受けた。
明治41年に旧豊田全域(川原木造の八雲神社を除く)の神社が合祀され、数々の神々が祀られる。
境内の石段横には「天の真名井」と呼ぶ天然の井戸がある。その底は計り知れず、俗に山辺の清水という。また、石段には万福寺と刻んだ石があり、神仏習合の跡が見られる。

社頭掲示板



須加神社

須伽は假字也、和名鈔、(郷名部)須可、(須加)〇祭神道中貴、一名菅忍姫命、(考証、俚諺)○須賀村に在す、(同上)〇古事記、(神代段)速須佐之男命、宮可造作之地求出雲國、其地者、於今云須賀、」儀式帳云、須佐乃乎命御玉、道主命、
勢陽俚諺、比社域に井あり、水湛盈り底なし、亦此より少し東の野の森を竜灯森と云、旱の時此森中木葉埋たる処を、三鍬かきのけければ、鐘の声すると云、但其人三年不存とて、八九十才の人賃米三石にてするとそ、必雨ふるよし云り、
類社
但馬國二方郡須加神社

神社覈録



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