雲出川の支流である中村川と三渡川の間の平地に鎮座する。集落の北東隅の丘の上の神社。嬉野体育館の南に隣接する。 石段には万福寺と刻んだ石があり、神仏習合の跡が見られる。石段横に「天の真名井」とされる井戸もある。 垂仁天皇18年4月倭姫命が鈴鹿の忍山からこの地に移り給うた時、阿射加山に荒ぶる神がいて難渋し、大若子命に命じて、その神を鎮めたという。 |
須加神社 須賀の里の産土神であった須加神社は、延喜式神名帳にも記載された古社である。 祭神は、道主貴神即ち宗像神社の三女神である。 多紀理姫命、市杵島命、多岐津姫命を祀る。 明治41年川原木造の八雲神社を除く旧豊田村全域の神社を合祀する。 境内には、「天の真名井」と呼ぶ天然の井戸がある。 その底ははかり知れず、俗に山辺の清水という。 当社の遷宮は21年目毎に行われる。 嬉野町教育委員会 社頭掲示板 |
須加神社 須賀の里の産土神であった須加神社は、延喜式神 名帳(927年)にも記載された古社である。 江戸時代には須加権現と称された。 主神は道主貴神の宗像三女神「多紀理姫命 多岐津姫命 市杵島姫命」である。道中の安全を守る道主貴神は、奈良桜井と松阪六軒を結ぶ初瀬街道を行く旅人の参拝を受けた。 明治41年に旧豊田全域(川原木造の八雲神社を除く)の神社が合祀され、数々の神々が祀られる。 境内の石段横には「天の真名井」と呼ぶ天然の井戸がある。その底は計り知れず、俗に山辺の清水という。また、石段には万福寺と刻んだ石があり、神仏習合の跡が見られる。 社頭掲示板 |
須加神社 須伽は假字也、和名鈔、(郷名部)須可、(須加)〇祭神道中貴、一名菅忍姫命、(考証、俚諺)○須賀村に在す、(同上)〇古事記、(神代段)速須佐之男命、宮可造作之地求出雲國、其地者、於今云須賀、」儀式帳云、須佐乃乎命御玉、道主命、 勢陽俚諺、比社域に井あり、水湛盈り底なし、亦此より少し東の野の森を竜灯森と云、旱の時此森中木葉埋たる処を、三鍬かきのけければ、鐘の声すると云、但其人三年不存とて、八九十才の人賃米三石にてするとそ、必雨ふるよし云り、 類社 但馬國二方郡須加神社 神社覈録 |