県道59号の西に鎮座。田の中の小社。こんもりした森あり。 本社の創祀年代は社傳に大宝年間以前とあれど未詳である。 大国主命の末裔大神朝臣の子孫がその祖神を奉斎したものと考えられるが、その詳細は、不明である。 中世には国司北畠顯泰、近世では松坂城主古田兵部少輔重勝らの尊崇が厚く、特に重勝からは社領十二石の寄附があつたと伝えられている。 明治に入つて村社に列し、同41年4月、伊勢寺村内の他の27社の村社とともに村社高福神社に合祀。その後、高福神社は昭和5年、社名を伊勢寺神社と改称した。 深長町北に「泉の森公園」がある。この地が旧地とされている。 |
伊勢寺神社 神紋:左三巴、 境内:309坪、 社殿:本殿、拝殿、社務所、手水舎、 境内神社:伊勢寺霊社(前川長四郎ほか167柱) 氏子:1,000戸、伊勢寺町、八重田町、深長町、殿村町、野村町、岩内町、日丘町遷宮:神社本殿、霊社とも:平成21年11月15日工事始め、同22年3月20日完成予定 由 緒 当社の創立年代について、社伝によると寛正2年(1461)当村で疫病が流行して村人の多くが死んだ際、疫病鎮めの神として崇敬を集めていた一志郡多気村の牛頭天王社を当地に勧請し高福大明神と称したのが始めと言う。後に牛頭天王社と改称したが、明治初年に再度旧社名に復した。当社の鎮座地は往古より現在に至るまで変更がない。明治41年4月5日より4月15日までの期間に、当社に伊勢寺の堀坂神社、物部神社(式内社)ほか27社を合祀した。そして、昭和5年4月20日鎮座地の地名に因んで伊勢寺神社と改称した。 三重県神社庁 |
大神神社 大神は於保美和と訓べし〇祭神大己貴命○深長村に在す、(考証、俚諺)今泉之明神と称す、 勢陽俚諺云、一説川俣谷、作瀧村高宮是なると云り、 類社 大和國城上郡大神大物主神社の條見合すべし 神社覈録 |