集落奥の尾根の上にある。元は「牛峯神社」と称され、この地区の大社であった。 旧記によると、当社社前の野を牛飼場といい、往古、里人がこの野に牛を放し飼いにしていたことから牛庭神社と称した。 明治30年10月14日、牛庭神社と改称。 明治41年3月19日村内の各社を合祀し村社牛庭神社と単称した。 大正元年9月20日神饌幣帛料供進社に指定された。 『皇太神宮儀式帳』『倭姫命世記』にある、「飯野高宮」の伝承地。 |
牛庭神社 神紋:右三巴、 境内:646坪、 社殿:本殿、幣殿、拝殿、社務所 氏子:154戸、上蛸路町、八太町、下蛸路町、 崇敬者:12名 由 緒 当社『旧記』に「牛庭神社は牛頭天王を祭っている。往古里人此の野に牛を放ち飼いせし由、当社前なる野を牛飼場というに依り牛庭神社という。そのためこの地(神聖な地)で里人は狩猟や漁労をすることが許されず、犯した者には牛の祟りがあるとされていた」と記している。牛峯神社という記述もあるが、式内牛庭神社のことである。古多気国司により御造営等もなされてきたと伝えられるが、『旧記』は享保年間(1716〜1736)に代々蔵し来った氏子宅の火災により焼失した。 明治41年に、若宮神社などこの地区の産土神八社を合祀して、現在に至っている。 三重県神社庁 |
牛庭神社 牛庭神社は牛頭天王を祭っている。往古里人此の野に牛を放ち飼いせし由、当社前なる野を牛飼場というに依り牛庭神社という。そのためこの地(神聖な地)で里人は狩猟や漁労をすることが許されず、犯した者には牛の祟りがあるとされていた。 当社『旧記』 |
牛庭神社 牛庭は宇志尓波と訓べし○祭神詳ならず○蛸路村に在す、今牛嶺と称す、(考証俚諺)今飯野郡に属す、 神社覈録 |