捧屋神社
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   【延喜式神名帳】捧屋神社 伊勢国 多気郡鎮座

   【現社名】捧屋神社
   【住所】三重県松阪市菅生町字下山
       北緯34度33分46秒,東経136度35分9秒
   【祭神】五十猛命
   【例祭】
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       明治時代には村社
       明治41年1月6日に、上七見の奈々美神社(式内社)に合祀
       昭和43年2月復興

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとは西北にある天王社の北(天王社の森)にあつたという
        明治41年1月6日に、上七見の奈々美神社(式内社)に合祀
        昭和43年2月復興

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八王子社」と称していた
   【社殿】本殿切妻造
       

   【境内社】

櫛田川西岸近く、東部中学校の南西に鎮座する。ごく小さな神社。
櫛田川下流の自然堤防上に立地し、標高は6m前後である。菅生集落東寄りの南端に位置する。
延喜式當時の本来の祭神については、不明である。
由緒は不詳であるが近世は菅生村の産神、八王子社と称された。
もとは社地の西北にある天王社の北にあつたという。
明治時代には村社に列格されたが、明治41年1月6日に、上七見の奈々美神社(式内社)に合祀された。
昭和43年2月に、倒壊間近の如意寺跡を公会堂・倉庫・児童遊園地に改築し、神域を拡げ、復興遷宮を行なつた。


棒屋神社

棒屋は須岐夜と訓べし○祭神詳ならず〇舟木村に在す、(俚諺)

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順悠社