櫛田川西岸近く、集落の中にあり。 もとは二棟の本殿を持ち、一棟が八王子、一棟が牛頭天王とされていた。 右を牛頭天王と称し流田神社、左を産神八王子社と称し宇気比神社とされていた。 明治11年の神社明細帳は、右の社を須賀神社、左の社を流田神社としている。 明治41年2月11日松阪市山添町の村社神山神社に合祀。 昭和25年4月1日、改めて社地を構え、合祀された流田神社、須賀神社、風社の祭神を分祀し、三社を併せて「清水神社」として産土神を再建した。 |
流田神杜 流田は奈加禮多と訓べし、和名鈔(郷名部)流田、(假字上の如し)○祭神詳ならず○清水村に在す、(俚諺)今飯野郡に属す、 神社覈録 |