保津集落の中心部に位置する。櫛田川と祓川に狡まれた標高4m前後の自然堤防上に立地する。 大和の天香山を祀る意味で、当郡に天香山神を分祀した。 皇太神宮の御神体である八咫鏡を天香山命が天香山の金で作つたという伝承ともあわせて、その祭神は天香山命であつた可能性が大きい。 長く資料無く不詳であった。江戸期に耕作の神とされていたことから天香山神社と考えられた。 香山宮(こうさん)=高崎宮(こうさき)=耕作宮(こうさく)と変化したという。 明治36年1月9日、森田吉右エ門宅内に祭られていた耕作の宮(無格社)は、村社宇気比神社境内へ移転合祀され、明治42年大国魂神社に合祀。昭和10年旧宇気比神社の地に分祀。 当社は式内社「火地神社」を合祀したともされる。 |
天香山神社 天香山は阿米乃加語夜萬と訓べし○祭神詳ならず○保津村に在す、服部機殿南也、(考証)今飯野郡に属す、○神名秘書曰、旧記云、神衣祭者、皇太神宮御座高天原之昔、人面等之遠祖天八千々媛、殖桑棄於天香山、以所鋸蚕之御糸織供進御衣、 神社覈録 |