腹太集落の北端に位置する。標高は、4m程で、祓川の自然堤防上にある。 宇留布都(うるふつ)は湿潤な所の意味で土に関わる神を祀ったと思われる。 「宇留布都(ウルフツ)」が「腹太(ハフラト)」に転じたとして当社が式内社に比定された。 江戸時代は八王子と称され、明治40年7月30日無格社佐々波神社を合祀して宇留布津神社と単称した。同42年2月2日には、大字六根所在の大国玉神社(式内社)へ合祀され、昭和10年3月27日に、氏子の総意によつて、元の社地へ分祀された。 |
宇留布都神社 宇留布都は假字也○祭神詳ならず〇腹太村に在す、(考証、俚諺)今飯野郡に属す、 神社覈録 |