紀師神社
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   【延喜式神名帳】紀師神社 伊勢国 多気郡鎮座

   【現社名】紀師神社
   【住所】三重県松阪市庄町宮脇
       北緯34度30分25秒,東経136度30分31秒
   【祭神】天忍穗耳命・天穂日命・天津彦根命・活津彦根命
       熊野橡樟日命・田心姫命・滞津姫命・市杵島命
       『神名帳考証』『勢國見聞集』麻続屋姫神
       『勢陽俚諺』棚機姫命
       『布留屋草紙』織姫
       『勢陽五鈴還響』『神社要録』麻続屋比売命

   【例祭】
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       明治40伊佐和神社に合祀と伝

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「河原宮」と称していた
   【社殿】本殿神明造
       拝殿・社務所

   【境内社】

櫛田川北岸の山塊の南斜面に鎭座している。
集落の奥の一番上。見晴らし良い。
倭姫命が飯野高宮に太神(天照皇大神)を奉齋した時、長田郷に機殿を立て、麻績社、またの名を河崎社を創祀。その後、機殿を岸村に移し、岸社(当社)を創祀したという。
当社の隣にあつた水尾山宝藥寺(明治6年廃寺)は別当寺であった。
境内西隣に庄古墳がある。
松阪市射和町の伊佐和神社の説明では明治40年に八重垣神社、紀師神社など22社を合祀したとある。


庄古墳

●1基/古墳時代/庄町切林986の3/指定面積:1,980u
昭和53年11月11日市指定
 庄集落の北、東西に広がる標高250mの山塊の南斜面、紀師神社西50mに位置する円墳で、斜面方向の径16.5m、北裾での高さ1.6mを測る。「こうもり穴古墳」とも呼ばれるように、横穴式石室が開口している。石室現存長8m、玄室長7m、奥壁幅1.7m、羨道幅1.44mを測る長大な玄室をもつ片袖式の石室である。玄室天井石は7枚で、天井までの高さは玄室埋土を考えると3mを越すと思われる。玄室幅と玄室長との比はほぼ1:4で、石室は狭く長い。それに対し、羨道は短く、袖部も幅はわずかである。これらの特徴から、古墳の築造時期は6世紀後半代と考えられる。



紀師神社

紀師は假宇也〇祭神麻続屋姫命歟○今阿波曽村に在す、(考証、俚諺)○機殿儀式帳云、(上文麻積神社の條に出づ)
于後機殿迂於岸村、是処立社號称岸社、亦是太神御霊也、

神社覈録



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