櫛田川北岸の山塊の南斜面に鎭座している。 集落の奥の一番上。見晴らし良い。 倭姫命が飯野高宮に太神(天照皇大神)を奉齋した時、長田郷に機殿を立て、麻績社、またの名を河崎社を創祀。その後、機殿を岸村に移し、岸社(当社)を創祀したという。 当社の隣にあつた水尾山宝藥寺(明治6年廃寺)は別当寺であった。 境内西隣に庄古墳がある。 松阪市射和町の伊佐和神社の説明では明治40年に八重垣神社、紀師神社など22社を合祀したとある。 |
庄古墳 ●1基/古墳時代/庄町切林986の3/指定面積:1,980u 昭和53年11月11日市指定 庄集落の北、東西に広がる標高250mの山塊の南斜面、紀師神社西50mに位置する円墳で、斜面方向の径16.5m、北裾での高さ1.6mを測る。「こうもり穴古墳」とも呼ばれるように、横穴式石室が開口している。石室現存長8m、玄室長7m、奥壁幅1.7m、羨道幅1.44mを測る長大な玄室をもつ片袖式の石室である。玄室天井石は7枚で、天井までの高さは玄室埋土を考えると3mを越すと思われる。玄室幅と玄室長との比はほぼ1:4で、石室は狭く長い。それに対し、羨道は短く、袖部も幅はわずかである。これらの特徴から、古墳の築造時期は6世紀後半代と考えられる。 |
紀師神社 紀師は假宇也〇祭神麻続屋姫命歟○今阿波曽村に在す、(考証、俚諺)○機殿儀式帳云、(上文麻積神社の條に出づ) 于後機殿迂於岸村、是処立社號称岸社、亦是太神御霊也、 神社覈録 |