服部麻刀万神社
はとりまとまじんじゃ
二十五柱神社 に合祀
所在地ボタン 社名ボタン















   【延喜式神名帳】服部麻刀万神社二座 伊勢国 多気郡鎮座

   【現社名】二十五柱神社に合祀
   【住所】三重県松阪市柿木原町52
       北緯34度35分23秒,東経136度35分59秒
   【祭神】木俣(股)神
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】旧地に石碑あり。現在は水田。
        明治41年4月7日二十五柱神社へ合祀

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「マッカタ社」と称していた
   【社殿】
       

   【境内社】

現在は二十五柱神社に合祀。
古く垣内田村の東南の森に「マッカタ社」、「ツボガタ社」という小祠が2社あった。
「マツカタ社」は、宝徳3年(1451)の記録にその名が見えることから、室町時代までさかのぼることができる。
この「マツカタ社」が「服部麻刀万神社」に比定されており、「ツボガタ社」は「須麻漏売神社」に比定されている。
両社は、明治41年4月7日、松阪市柿木原町鎮座の宇気比神社(二十五柱神社と単称)へ合祀された。
。旧社地は、近鐵山田線の漕代駅より北方へ5Kmの地点、国道23号線(南勢バイバス)の高架から見おろせる位置にある。境内は水田となつており、東南隅には、昭和5年3月、出口正直氏により、式内 須麻漏売神社 麻刀方神社 旧地 の石標が建てられている。


二十五柱神社

当社は、明治41年9月30日、当氏子地域の神社25社を合祀して創建された神社である。しかし、合祀される前の神社の中には『延喜式神名帳』の多気郡中に登録されている式内社も含まれている。すなわち、出間里中の服部伊刀麻神社・林神社、土古路里中の国の御神社、牛草の牛庭神社、垣内田里本殿の須麻漏売神社・麻刀方神社の合計6社がそれである。

三重県神社庁



二十五柱神社

25柱神社 合祀前の神社
・村 社 宇気比神社(南出薬師境内)
・村 社 須賀神社(陽光寺境内)
・無格社 山神社(陽光寺境内)
・村 社 浜神社(現在天理教会になっているところ〕
・村 社 事代主神(現在天理教会になっているところ)
・村 社 高之宮神社(大垣内地内)
・無格社 八幡宮(大垣内地内)
・無格社 神明神社(天照)(大垣内地内)
・村 社 林神社(出間地内)(延喜式内社)
・村 社 服部伊刀麻神社(はとりいとま)(出聞地内)(延喜式内社)
・無格社 田中神社(出間地内)
・無格社 菅原神祉(出間地内)
・村 社 字気比(うきひ) 本来は盟ひ(うけひ)神社(垣内田地内)
・無格社 (延喜式内社) 須麻漏売(すまろめ)神社(垣内田地内)
・無格社 (延喜式内社) 松方(まつかた)神社
     本来は麻刀方(まとかた)神社(垣内田地内)
・村 社 宇気比神社(柿木原地内)
・無格社 事代主神社(柿木原地内)
・無格社 冨士専僊花(せんげ)社 冨士浅間社(柿木原地内)
・村 社 字気比神社(土古路地内)
     (延喜式内社 國乃御(くにのみ)神社(土古路地内)
・村 社 上流田(かみながれた)神社(神守地内)
・無格社 八幡神社(神守地内)
・村 社 牛庭(うしにわ)神社(牛草地内)(延喜式内社)
・材 社 宇気比神社(蓮花寺地内〕
・村 社 宇気比神社(乙部地内)



服部麻刀方神社 二座

服部は前に伺じ、麻刀方は末止加多と訓べし、〇祭神詳ならず○流田郷服村に、又云大垣内村に在す、(儀式解)○倭姫世記伝、日本建尊比々羅木乃以八尋鉾根天、奉献皇太神宮、即倭姫皇女、彼鉾根波、納緋■天、皇太神乃貴財止為天、八尋機殿(圓方機殿是也)応収天、為皇太神御霊弖、奉崇祭留、令天棚機姫神斎八千々姫命、毎年夏四月秋九月、織神服、以供神明、故曰神衣祭也、」神宮雑例集云、嘉応2年、服織機澱大神部道尚解、以神部等遠祖天御鉾命爲司、以八千々媛為織汝奉織之、○万葉注釈曰、伊勢國風士記云、的形浦者、此浦地形似的、因似為名也、今巳跡絶、成江湖也、天皇行幸濱歌曰、麻須良遠能、佐都夜多波佐美、牢加此多知、伊流夜麻度加多、波麻乃佐夜氣佐、(万葉集一に、舎人娘子從窺作歌、丈夫之、得物矢乎挿、立向、射流圓方波、見爾清潔之、ともあり、)-

神社覈録



伊勢国INDEXへ        TOPページへ


順悠社