玉城丘陵の北東端の丘の上に鎮座する。叢林深い。 江戸時代には有爾中村の北部に鎮座し、櫻宮、あるいは櫻社と呼ばれていたが明治6年当地に遷座した。この地は元は天王と称する社があった。 天王社の鎮座していた現在地を式内社・宇尓櫻神社の古跡とする説がある。 当社周辺には古墳、遺跡が密集している。 明治35年の「無格社大海田水代大刀自神社御由緒」には宇爾桜神社境内に権現社として祀られているとある。 |
村社櫻神社御由緒調査書 モト本村ノ北位櫻御城ノ地ニ坐シヲ田圃二接シテ神威ヲ涜スノ虞アルヲ以テ明治六年八月十五日今ノ合戦田ノ地ナル里俗天王ト称スル社ニ遷シ奉り天王ハ道家ノ神名素盞鳴命ナレハ之ヲ相殿ニ奉祀シ當社ハ旧名ニ拠テ櫻神社ト称シ來レリ 式内社調査報告 |
宇爾櫻神社 昔からの住宅地域からは少し離れている小高い森林に囲まれ、緩やかな長い階段を上りながら左に竹林が続き、時期には紫陽花の花が心を和ませてくれる。7月の例祭は天王祭りとも称し、「羯鼓踊り(かっこおどり)」が奉納される。この時だけは地元、他地区だけでなく県外の方々の参詣者やカメラマンで賑わう。 由 緒 当初の創始については明らかではないが、延喜神名式並びに延喜斎宮式にその名がみえる。平安時代には斎宮の祈念祭や新嘗祭に預かり、席別祭料として絹、木綿、麻、庸布、盾、鰒等が供進されていた。江戸時代には有爾中村の北部に鎮座し、櫻宮あるいは櫻社と呼ばれた。 明治2年3月26日、勅使従三位橋本實梁が参加して弊帛及び金二千疋を奉納。同6年8月15日に現在の合戦田の地へ移転、そしてこの地に祀られていた天王社を当社の相殿に奉祀し、櫻神社と改称した。 同15年7月28日に有爾中村蓑村に移された度会郡世古村の八柱神社分霊を、9月26日に合祀して村社に列した。同41年6月30日、上野の仲神社など五社を合祀し、更に44年5月22日には宇爾櫻神社と改めた。 三重県神社庁 |
宇爾櫻神社 宇爾は假字也、和名鈔(郷名部)有弐」櫻は佐久良と訓べし〇祭神両説あり、埴安神、(考証)木花開耶姫命、(俚諺)〇有爾中村に在す、(同上)今櫻社と称す、(考証) 類社 当國朝明郡櫻神社 神社覈録 |