櫛田川南岸の河岸段丘上、津田小学校の北に鎭座している。 境内には杉の巨木があり叢林はよく目立つ。 当社には応永34年(1427)から元亀2年(1571)までの紙本墨書神事頭番帳(県指定文化財)が保存されており、室町時代全期にわたる多気郡相可郷中村天王八王子社の神事宮座についての記載がある。 |
津田神社 多気町大字井内林津田神社 神事頭番帳一巻 室町時代 指定昭和31年12月5日 縦26cm 横30cm これは、応永34年(1427)から元亀3年(1572)に至る殆ど室町時代全期にわたり、多気郡相可郷中村天王八王子社の神事に関する当番帳(神事をおこなう人名を書いた帳面)である。 この中には「右結衆等天長地久御願円満皆令満足延徳4年」(1492)とその趣旨を述べ、又宮座(神事を行う人々の仲間)のあった事なども推測される。 社頭掲示板 |
津田神社 當社ハ元林神社ト称シ多氣郡式内社五十二座ノ内ニシテ旧和歌山藩ヨリ享保甲辰年禁殺生ノ棒石ヲ建設シタリ並二社域四隅ニモ從是林神社ト記セル建石アリ但シ旧記ハ當神社旧神官喜早久太夫方ニ代々藏セシガ文政元年十一月焼失セリト云フ然レドモ當村内小字ヲ西佐伯ト號スル村落ノ西崎某家二享保五年子九月御調ノ砌田丸役場ヨリ渡サレタル書面ノ写今猶存セリ其文ニ 林神社 木俣神 井内林村 相鹿木太御神社 句々廼馳命 林村 ト記セリ尤林神社木太御神社トモニ上世ハ外地ニ鎭座ナリシヲ中古今ノ地二遷移シタル由雑社ノ條詳ナリ右林神社近傍ニ瑠璃山光徳寺ト云フ寺アリ此境内ニ當社本地佛ト申傳ヘタル藥師アリ此堂二承安癸己夘月辛未ノ日當國一志郡別比丘写之爲國家安全納ルト記セル写本ノ大般若経六百巻虫喰ヒナガラ今尚存セリ 明治39年神社明細帳 |
津田神社 延喜式内社にさかのぼる古い歴史を有し、また境内には樹齢一千年を超えるとされる大杉があり、伊勢白龍大明神と崇めお祀りもしおります。 由 緒 元村社で、さかのぼれば延喜式内林神社に由来し、明治41年、旧津田村内に座す、無格社3、境内無格社27社を合祀し社名を津田神社と改称奉齋いたしてまいりました。 三重県神社庁 |
紙本墨書神事頭番帳(しほんぼくしょしんじとうばんちょう) 町内指定文化財一覧【県重要文化財】 所在地:井内林 津田神社 年代:室町時代 指定:昭和31年12月5日 紙本墨書神事頭番帳 応永34年(1427)から元亀3年(1572)に至る相可郷中村天王八王子社の神事に関する当番を記したもの。当時の村人の名や宮座などを知ることができ貴重な資料である。 多気町 |
林神社 林は波夜之と訓べし〇祭神詳ならず、(林氏の祖神歟)○林に在す、(考証俚諺) 考証云、木祖句々廼馳、」勢陽俚諺云、木俣神、」共に拠を志らず、連胤按るに、姓氏録、(左京皇別上、河内國皇別)林朝臣、』同、(河内国神別)林宿禰、』同、(諸蕃)林史、林連、林等の数姓あり、此等の中の氏社も量りがたし、猶当國に氏人の有無を考ふべし、 類社 越中國砺波郡、播磨國明石郡林神社(各一座) 氏人 日本後紀、延暦24年8月丁巳、近江国人正六位上林朝臣茂継云々、附于左京、続後紀、承和5年正月正六位上林朝臣常継、文徳実録、齊衡元年12月庚辰、散位正六位上林朝臣並人等改姓紀朝臣と見え、此他にもあり、 神社覈録 |