田中の堤防近くの小社。 倭姫命が天照大神を奉じて竹田国から御船に乗つて、櫛田川の川口まで来られた時、魚が自然に集り御船に飛びこんできたのを見て喜ばれ、こゝに魚見社を定められたという。 宝徳3年(1451)の機殿御神事日記は、「うおみしおつめ(魚見潮積)社」と「うおみ(魚海)社」とを明らかに別記している。これからすると当社は魚見潮積社と思われる。 ただし、江戸期は当社が式社とされていた。 |
魚海神社 延喜式内 魚海神社 御祭神 豊玉彦尊・豊玉姫命・月読荒魂尊・天之穂耳尊・須佐男尊・大山津見尊 御由緒 垂仁天皇御代23年2月11日倭姫明天照大神を奉載し大神鎮座の地をさがし求め櫛田川を下られて此の地に御幸さられし時、 「御船に乗りたまいて入り江にこられし時、潮引きて干満となるに魚自然に集まりきたりて御船にとびこみたり。命それを見給いて大いに喜ばれ、魚海神社をこの地に定めたまわった。」(倭姫世記大神宮本記より訳文) 当社御創始は天照皇大神伊勢の地に御鎮座ましませるよりさかのぼること3年8ヶ月なり。 附記 海の魚を見て喜び給い此処に天照皇大神御拝所並びに竜宮の神豊玉姫命を祀られこの日を記念して今も神宮において海幸祭をとり行われている。 天武天皇御神託により7年11月11日月読荒魂尊を魚海神社に奉遷合祀された。 社頭掲示板 |
魚海神社 二座 魚海は伊乎美と訓べし〇祭神両説あり、一座月読命荒魂、(世記)三座月読命、豊玉彦命、豊玉姫命、(機殿儀式帳)〇北魚見村に在す、俗潮積社と称す、今飯野郡に属す、(考証俚諺)○倭姫世記云、垂仁天皇22年、櫛田社定賜支、從其処志天、御船乗給弖幸行、其河後江爾到座、于時魚自然集出天、御舶参来支、爾時倭姫命見悦給弖、其処爾魚見社定賜支、」機殿儀式帳云、魚見社三前、是月読命、豊玉彦命、豊玉姫命、合三柱也、又云、荒魂命、飛鳥宮御宇丙寅年12月11日、遷魚見神社也、 連胤按るに、此帳二座とあるは、月読命荒魂は内宮別宮に坐は当社にて、祈年祭の幣は豊玉彦姫の両神に奉りしなるべし、さはいへ荒魂をも合祀して、実は三座なりけむ、此類ひ多き事也、 神社覈録 |