櫛田川西、集落の北西に鎮座する。 本殿は一段高くなっており。洪水等があっても本殿は流されることはないであろう。 古来より七見村にあつたことは一致しているが、村内のどこにあったで三説に分かれる。 @西北にあったとする説 当社 A東北にあったとする説 上七見村は古くは櫛田川の川岸に接していたらしいが、洪水によつて神社を含めた村全体が現在地に移つたという。この地が奈々美神社の旧社地であつたのかもしれない。 B下七見村天王社説 古来上七見村より外宮へ毎年正月5日に新菜の七草を奉献する例があり、当社を七見草神社ともいう。 |
奈々美神社 当社の創始について詳細なことはわからないが、『延喜式神名帳』多気郡中の「奈々美神社」に比定されている。また、当社は外宮若菜御厨であったとされ、鎮座地も初めは現在の村里中の位置より200mほど離れた所であり、永保2年(1082)の大洪水により現在の社地に遷されたと伝えられている。往古より現在に至るまで当社は「七見村」の産土神であり、鎮守の杜である。 明治40年12月当社境内社を合祀し、続いて明治42年2月10日下七見の須賀神社(須佐之男命)・宇気比神社(天忍穂耳命)、新屋敷の宇気比神社(天忍穂耳命)、菅生の棒屋神社(五十鈴猛命、船霊)を合祀した。しかしその後、昭和22年に新屋敷の宇気比神社を、同23年2月に菅生の棒屋神社をそれぞれ、地元氏子の強い要請により旧地に分祀、還座完了した。 三重県神社庁 |
奈々見神社 祭々見は假字也○祭神詳ならず〇七見村に在す、今飯野郡に属す、(俚諺) 神社覈録 |