奈々美神社
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   【延喜式神名帳】奈々美神社 伊勢国 多気郡鎮座

   【現社名】奈々美神社
   【住所】三重県松阪市上七見町468
       北緯34度34分7秒,東経136度34分57秒
   【祭神】倉稻御魂命 建速須佐之男命 八柱神 天忍穗耳命 豊玉比売命
   【例祭】2月11日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       永保2年(1082)の大洪水により現在の社地に遷
       明治初年村社に列格
       同39年12月神饌幣帛供進社
       明治42年2月10日奈々美神社と単称

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初現在の村里中の位置より200mほど離れた所に鎮座
        永保2年(1082)の大洪水により現在の社地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿・社務所

   【境内社】

櫛田川西、集落の北西に鎮座する。
本殿は一段高くなっており。洪水等があっても本殿は流されることはないであろう。
古来より七見村にあつたことは一致しているが、村内のどこにあったで三説に分かれる。
@西北にあったとする説 当社
A東北にあったとする説
上七見村は古くは櫛田川の川岸に接していたらしいが、洪水によつて神社を含めた村全体が現在地に移つたという。この地が奈々美神社の旧社地であつたのかもしれない。
B下七見村天王社説
古来上七見村より外宮へ毎年正月5日に新菜の七草を奉献する例があり、当社を七見草神社ともいう。


奈々美神社

当社の創始について詳細なことはわからないが、『延喜式神名帳』多気郡中の「奈々美神社」に比定されている。また、当社は外宮若菜御厨であったとされ、鎮座地も初めは現在の村里中の位置より200mほど離れた所であり、永保2年(1082)の大洪水により現在の社地に遷されたと伝えられている。往古より現在に至るまで当社は「七見村」の産土神であり、鎮守の杜である。
 明治40年12月当社境内社を合祀し、続いて明治42年2月10日下七見の須賀神社(須佐之男命)・宇気比神社(天忍穂耳命)、新屋敷の宇気比神社(天忍穂耳命)、菅生の棒屋神社(五十鈴猛命、船霊)を合祀した。しかしその後、昭和22年に新屋敷の宇気比神社を、同23年2月に菅生の棒屋神社をそれぞれ、地元氏子の強い要請により旧地に分祀、還座完了した。

三重県神社庁



奈々見神社

祭々見は假字也○祭神詳ならず〇七見村に在す、今飯野郡に属す、(俚諺)

神社覈録



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順悠社