皇大神宮所管社 倭姫命が御巡幸の時、長田郷に機殿を立て、麻績社または河崎社と号し後に、岸村に遷して岸社と称したという。 櫛田川と祓川とに狭まれた標高6m前後の自然堤防上に立地する。周園は水田で、鬱蒼とした社叢に囲まれている。 通称上館 (かみたち) 、 上機殿 (かみはたでん) とも呼ばれている。 正面の建物が荒妙 (あらたえ:麻) を奉織する八尋殿である。 その左側が神麻績氏の祖神、 天八坂彦命 を祭る神麻続機殿神社である。 なお、 御前神 (みまえのみ) として八末社が祭られているが、 創立、 祭神とも不明。 八尋殿で皇大神宮と別宮の荒祭宮にたてまつる荒妙 (麻) を奉織している。 元禄12年に神御衣祭復旧されたが、明治7年まで、和妙・荒妙の織立奉納はなく、些少の糸を調進していたのみであった。 荒妙の奉織 5月と10月の1日、 下館の神御衣奉織始祭の奉仕を終えて、 午前9時頃から、 荒妙の御衣が清く美しく織らせたまえとお祈りするお祭をし、 和妙の奉織と同様の奉仕をする。 普通の年は5、6六日で織られるが、 天候の具合によって10日もかかることがあり、 ロウソクのあかりで夜遅くまで残業することもある。 織り立てが終ると神職が鋏を入れ、 検尺して数日乾燥し、 手入れをした後巻きおさめ、13日まで八尋殿に奉安する。この奉織は、 松阪市の無形民俗文化財に指定されている。 神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)・神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)はいずれも三重県松阪市にある神社。元々は同じ場所に鎮座していたが、大垣内町の神服織機殿神社と井口中町の神麻続機殿神社の2社に分かれたと考えられている。 |
神麻続機殿神社 神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ) 皇大神宮所管社 神麻続機殿鎮守神(かんおみはたどののまもりのかみ) 祭神は神御衣祭(かんみそさい)に供進される荒妙(あらたえ・麻布)を奉職(毎年5月と10月の上旬に神職が参向する)する御機殿の鎮守の神、神麻続機殿鎮守神。御機殿は八尋殿(やひろでん)といい、向かって右の萱葺の建物である。社地には小社殿ながら、所管社の神麻続機殿神社末社八所、祭神は神麻続機殿鎮守御前神(かんおみはたどののまもりのみまえのかみ)がご鎮座されている。上機殿(かみはたどの)とも呼ばれている。 神宮会館 |
神御衣祭の由緒と沿革 神御衣祭は、神宮のお祭りの中でも神嘗祭と共に古い由緒のあるお祭りで、平安時代の『皇太神宮儀式帳』や『延喜太神宮式』には、その内容が詳しく記されています。現在、一般では「神様の夏と冬の衣替えのお祭り」と説明されていますが、 『令義解』や『令集解』などによると、古くは神嘗祭の当日に神御衣がお供えされていますので衣替えではないと言えます。 それは新しい御料を奉ることにより、大御神の御神威がさらに増すことを願う意味があると考えられています。 神御衣は、三重県松阪市の郊外に鎮座する神服織機殿神社で和妙が、神麻続機殿神社で荒妙が5月と10月の初日から2週間をかけて奉織されます。この辺りは古くから紡績業と関係が深く、機織りを行う服部神部という人々が住んでいたといわれます。 現在も下御糸、上御糸、中麻績などの地名が残っていることから、その関係の深さを伺うことができます。 伊勢神宮HP |
御衣奉織行事 毎年5月と10月の初旬、両機殿の八尋殿で皇太神宮正宮と別宮の荒祭宮での神御衣祭に供える御衣を奉織する。地元で「おんぞさん」と呼ばれるこの行事は戦国時代に中絶となり、皇大神宮の神職による形式的な祭祀のみが行なわれ、愛知県で奉織された和妙や、奈良県奈良市月ヶ瀬で奉織された荒妙などが神御衣祭に供えられていた。 大正3年5月に愛知県木曽川町(現在の一宮市木曽川町)の職人により機殿での奉織が再興されたが、地元の住民はこれを無様と感じ機織りの技術を習得し、伝承することにした。1967年(昭和42年)以降、和妙は祖父らから継承された女性が奉織することになったが、荒妙は現在も男性が奉織している。松阪市は1975年(昭和50年)9月27日、和妙と荒妙の奉織を「御衣奉織行事」として無形民俗文化財に指定した。 ただし地元住民による両機殿での奉織は神御衣祭に必要な和妙36匹(正宮24匹、荒祭宮12匹)と荒妙120匹(正宮80匹、荒祭宮40匹)のうちの各1匹のみで、残りの和妙・荒妙は他に必要とされる頚玉(くびたま)・手玉(てだま)などと合わせて木曽川町と奈良市月ヶ瀬の専門の業者に奉織を委託している。 Wikipedia |