中海集落の西南隅に位置する。祓川下流右岸の標高7m程の自然堤防上に立地する。 平地の神社。叢林は薄い。真福寺隣に鎮座。 神麻続機殿神社は、機殿の鎮守神を祀る社であり、それに対して麻続神社は中麻続氏の祖神を祀る社であるとする。 中海を中心とする麻続郷の地域から、三宅郷の推定域内に麻続神社は存在したのであろうが。延喜式当時の社地は、不明である。 |
麻續神社 当神社は国史跡『斎宮跡』の北に広がる田園地帯に鎮座する。近くを歴代斎王の禊の場、祓川が静かに流れており、斎宮歴史博物館やいつきの宮体験館等もほど近く、毎年6月の斎王まつりには内外から多くの人が訪れている。 由 緒 創始は不詳であるが、上代まで遡るものと思われる。明治45年に豊城入彦命を祀る式内社の中麻續神社に村内の坂本神社、粟須美神社、美里神社、宇気比神社が合祀され、その際に麻續神社と改称した。昭和43年11月に坂本神社は分祀し現在に至っている。 三重県神社庁 |
麻積神社 麻積は乎乎宇美と訓べし、和名鈔、(郷名部)麻積、(仮字上の如し)○祭神大神御霊麻積屋姫命歟○井手郷井口村に在す、今飯野郡に属す、(儀式解)〇倭姫世記云、垂仁天皇25年3月、伊勢百船渡会國、玉綴伊蘇國仁入坐、即建神服織社、令織太神之御服、麻積機殿神服社是也、』又云、神服織殿、倭姫命入座飯野高丘宮、作之機屋、命織太神之御服、從高宮而入坐礒宮、因立社於其地、曰名服織社、號麻積郷者、郡北在神、此奉大宮神荒衣々、神麻積氏人等別居此村、因以為名也、』 機殿儀式帳云、纏向珠城朝廷、(垂仁)倭姫皇女壮奉太神斎奉飯野高宮、于時機殿立長田郷、是処立社號麻積社、亦名河崎社、是太神宮御霊也、称麻積屋姫命、 連胤按るに、旧事紀(天神本紀)に、天八坂彦命、伊勢神麻積連等祖、」古語拾遺に、長白羽神、伊勢國麻積祖とあるは、即ち神麻積連麻積等の祖神たるのみにて、当社に祭る所にはあらざるべし、』儀式解に、麻積神社は麻積機殿の鎭守にて、即ち機殿の傍にありと云り、 氏人 日本紀、崇神天皇7年8月、伊勢麻積君、続日本紀、庚子年9月麻積豊足、神護景雲3年2月に、正六位上神麻積連足麻呂、 神社覈録 |