葭原神社
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   【延喜式神名帳】荻原神社 伊勢国 度会郡鎮座

   【現社名】葭原神社
   【住所】三重県伊勢市中村町字向垣内724-1
       北緯34度28分22秒,東経136度43分44秒
   【祭神】佐々津比古命・伊加利比売命・宇加乃御玉御祖命
   【例祭】10月 22日神嘗祭
       『皇太神宮儀式帳』に、葭原神社。大歳神児、佐々津比古命。形石坐。又宇加乃御玉御祖命。又伊加利比女。形无。とある。

   【社格】未入官帳社十五処の1
   【由緒】倭姫命が祝い定めた神社
       天安2年(858)2月23日「正六位上葭原神預官社」『文徳実録』
       明治6年この地に再興

   【関係氏族】
   【鎮座地】中世廃絶
        明治6年この地に再興

   【祭祀対象】田野守護の神
   【祭祀】中世廃絶
   【社殿】正殿/神明造板葺南面
       玉垣御門/猿頭門扉付・玉垣/連子板打・鳥居/神明造

   【境内社】

内宮の末社16社のうち、第3位である。
伊勢神宮の所管する神社のうち、『延喜式神名帳』に記載されている神社、すなわち式内社は通例摂社であるが、葭原神社は内宮末社に列格する。
北中村の北のはずれに月読宮があり、 その境内南端に位置する。 御幸道路より月読宮へ参り、 裏参道に出ると左手。 国道23号より裏参道に入ると右手にある。 中世、 廃絶し社地不明であったが、 明治6年この地に再興した。 田野守護の神である。
倭姫命が祝い定めた神社であるとされ、この辺りが五十鈴川の葭(葦)原であったことが、社名からうかがえる。
「荻原神社」「萩原神社」どちらの表記が正しいか判別しない。
当社は地域住民からは「伊賀井の森」(いがいのもり)と呼ばれている。月読宮の北西御裳濯池の北方に伊賀田と字する地があり、こんもりとした森があった。この地に鎮座していたと伝。


葭原神社

葭原神社(あしはらじんじゃ) 皇大神宮末社
佐佐津比古命(ささつひこのみこと)
宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)
伊加利比賣命(いかりひめのみこと)
祭神は田畑を守護する三柱の神、佐佐津比古命と宇加乃御玉御祖命と伊加利比賣命。その昔、この辺りが五十鈴川の葭(葦)原であったことが、社名からうかがえる。

神宮会館



葭原神社

葭原は與之波良と訓べし○祭神佐々津比古命、宇加乃御玉御祖命、伊加利比女命、○月読宮南に在す、宇加屋社此乎、(神名略記)○儀式帳云ふ、(未官帳社十五処の中に載す)大歳神児佐々津比古命、形石坐、又宇加乃御玉御祖命、形無、又伊加利比女、形無、
官社
文徳実録、天安2年2月丙戌、在伊勢國正六位上葭原神預官社、
連胤按るに、当社既に官社に預れり、然れば延喜の伊勢大神宮式には、大神宮所摂官社の中に入べきを、延暦の儀式帳に官社廿四処、とあるままを執て、後に当社の官社に加はる事の沙汰なきは疎漏也といふべし、往昔もかかる不調子の事ある、恐るべし、

神社覈録



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