内宮の末社16社のうち、第3位である。 伊勢神宮の所管する神社のうち、『延喜式神名帳』に記載されている神社、すなわち式内社は通例摂社であるが、葭原神社は内宮末社に列格する。 北中村の北のはずれに月読宮があり、 その境内南端に位置する。 御幸道路より月読宮へ参り、 裏参道に出ると左手。 国道23号より裏参道に入ると右手にある。 中世、 廃絶し社地不明であったが、 明治6年この地に再興した。 田野守護の神である。 倭姫命が祝い定めた神社であるとされ、この辺りが五十鈴川の葭(葦)原であったことが、社名からうかがえる。 「荻原神社」「萩原神社」どちらの表記が正しいか判別しない。 当社は地域住民からは「伊賀井の森」(いがいのもり)と呼ばれている。月読宮の北西御裳濯池の北方に伊賀田と字する地があり、こんもりとした森があった。この地に鎮座していたと伝。 |
葭原神社 葭原神社(あしはらじんじゃ) 皇大神宮末社 佐佐津比古命(ささつひこのみこと) 宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと) 伊加利比賣命(いかりひめのみこと) 祭神は田畑を守護する三柱の神、佐佐津比古命と宇加乃御玉御祖命と伊加利比賣命。その昔、この辺りが五十鈴川の葭(葦)原であったことが、社名からうかがえる。 神宮会館 |
葭原神社 葭原は與之波良と訓べし○祭神佐々津比古命、宇加乃御玉御祖命、伊加利比女命、○月読宮南に在す、宇加屋社此乎、(神名略記)○儀式帳云ふ、(未官帳社十五処の中に載す)大歳神児佐々津比古命、形石坐、又宇加乃御玉御祖命、形無、又伊加利比女、形無、 官社 文徳実録、天安2年2月丙戌、在伊勢國正六位上葭原神預官社、 連胤按るに、当社既に官社に預れり、然れば延喜の伊勢大神宮式には、大神宮所摂官社の中に入べきを、延暦の儀式帳に官社廿四処、とあるままを執て、後に当社の官社に加はる事の沙汰なきは疎漏也といふべし、往昔もかかる不調子の事ある、恐るべし、 神社覈録 |