この地に神村社があり、『高向神社祭神考』で中東顯煕が雷電神社に比定する。 高向神社相殿の神村大神は、もとは高向郷加村に鎮座していた神村社。神村社にも蕪矢伝承があり、同じく式内社「雷電神社」の論社の一社。 |
神村神社【旧跡】 此地は往古大野と称し、松杉鬱蒼とし、河川環濠して神苑聖域を成せり。千古以前より此処に高向郷の一邑加村(神村とも)在りて里人の祭祀せる加牟良社が鎮座せし神聖地矣。 当社は貞観三年八月に高向住人の三津正盛が私祭したるを創祀と伝矣。中世の文安年中には神村は既に廃亡して、文明年間の頃には当社は蕪社とも称せられる。加牟良社ないし蕪社の両称を於て、後世、之を承継して、近世近代、現今に至矣。 明治末期、国家神道の制令に従て、同41年7月15日を於て、高向大社之合祀の官許を得て、同年10月21日に、加牟良神社の合祀執行し焉矣。以後、昭和13年8月の水難災厄後に、社地跡の煙滅を憂て一碑建立す。 今般、此地辺境の土地区画圃場整備事業の施行を利して、社地跡整備し。当該碑文を撰して、後古悠久に顕彰せんと為者矣 秋日女乃命 い者ひて この里を かむらと越し毛 名をおふせ介無 「松杉集」所蔵 秦 秀益 作 昭和59年2月吉日建立 高向区 社頭石碑 |