街中の小社。 江戸時代、掛橋地内は紀州藩と鳥羽藩に分かれており、紀州藩領の神社として春日社があり「表の宮」と称していた。一方、鳥羽藩領には雷電神社があり「裏の宮」また「八王子」とも称していた。 雷電神社のは明治43年4月15日に小俣神社と共に官舎神社に合祀になつた。 雷電神社は経緯不明だが別の神体を合祀し本物は境内に埋納したという。 神社が合祀された後も雷電神社の氏子は山の神と八王子社を祀り、御頭神事を、元の神社の財産で継続していた。 昭和28年の頃、営時の宮司がもと八王子社の社地を「雷電神社」として社殿を復興した。 式内雷電神社は論社が多い。 (1)度会郡小俣町掛橋 雷電神社 当社 『式社案内記』『神名帳傍註』が比定する。 (2)度会郡小俣町湯田 湯田神社『伊勢式内神社宮地記』『神宮典略』が比定する。 (3)度会郡御薗村高向二ツ屋七四 高向大社『二宮管社沿革考』御巫清直が比定する。 (4)度会郡御薗村高向ニツ屋一一三 神村社『高向神社祭神考』中東顯煕が比定する。 (5)度会郡小俣町離宮院跡『伊勢式内神社宮地記』が比定する。 (6)伊勢市柏町(雷社)『摂末社独案内』が比定する。 |
雷電神社 雷電は伊加津知と訓べし〇際神別雷神、(神祇本源)〇離宮院坤方に在す、(同上)今存亡詳ならず、 神社覈録 |