内宮の摂社27社のうち、第24位である。 外城田川の北岸近く、外城田川沿いの水路に面している。台地の上の神社。前面は田地であり、入り江であったとしてもおかしくない。大きな叢林がある。 『皇太神宮儀式帳』には四至として「東南公田、西百姓家、北御刀代田」と記されている。 中世廃絶したが寛文年中再興した。 垂仁天皇の頃、 倭姫命が坂手の国から外城田川を遡ってこられたとき、 このあたりで水が尽き、 その水が大変冷たかったので、 この川を寒川と名付けられ、 そこに船を留め、 御船神社を祝い定められたという。 (倭姫命世記) 土羽は鳥羽と同じく、 泊 (トバリ) で、 船の留まるところであったと思われる。 神宮要綱によれば、 「倭姫命、 皇大神を奉じ御宮地を定め給ひしとき、 伊蘇宮より寒川を上り、 この地に至り御船を留めて御船社を定め給へること、 大神宮本記に見ゆ。 是れ本社の起源なり。」 とある。 神宮にて御神体を奉安する御樋代をさらに納め奉る御船代に関連づけて、当社に遷宮後の御船代が納められたのではないかと推定する説もある。 寛文3年8月29日に再興された。堀の跡や古い柱の穴や朽ちた木が発見されため、旧社地と考えられた。 |
御船神社 御船神社(みふねじんじゃ) 皇大神宮摂社 大神御蔭川神(おおかみのみかげかわのかみ) 祭神は船路交通の守り神と伝えられる、大神御蔭川神。このあたりが外城田川(ときだがわ)の終点地であり、倭姫命がさかのぼられたとき、御船をとどめられたといわれる。末社の牟弥乃神社(むみのじんじゃ)祭神は寒川比古命(さむかわひこのみこと)と寒川比女命(さむかわひめのみこと)がご同座されている。社頭には天保14年(1843)と刻まれた常夜燈や、文政6年(1823)の石階等が残されている。 神宮会館 |
大神乃御船神社 大神乃は於保牟伽美能、御船は美布禰と訓べし、○際神大神乃神蔭川神○有爾郷土羽村に在す、(神名略記)○式四、(伊勢大神宮)大神宮所摂廿四座の第廿に戴す、○倭姫世記云、御船留給支、其処仁御船神社定給支、」儀式帳云、称大神乃御蔭川神、形無、倭姫内親王代定祝、 神社覈録 |