川原淵神社
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   【延喜式神名帳】川原淵神社 伊勢国 度会郡鎮座
   【延喜式神名帳】川原神社 伊勢国 度会郡鎮座

   【現社名】川原淵神社
   【住所】三重県伊勢市船江一丁目10-140
       北緯34度29分55秒,東経136度42分52秒
   【祭神】沢姫神
   【例祭】10月 20日神嘗祭
   【社格】
   【由緒】創建については不詳
       『貞観式』に載せられている
       中世廃絶
        寛文3年再興

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初鎮座の地は不詳
        寛文3年大中臣精長桧尻という小祠の境内に再建
        明治11年12月現在地に移

   【祭祀対象】
   【祭祀】中世廃絶
   【社殿】正殿/神明造板葺南面
       玉垣御門/猿頭門扉付・玉垣/連子板打・鳥居/神明造

   【境内社】

外宮の摂社16社のうち第12位である。
宮川の支流が取り残されて出来た朧ケ池の北に鎮座する。
船江上社と同じ社叢の東に鎮座する。
宮川の下流に近い河原の淵になっているところに祭られた神社であることがこの神社名からもわかる。 神名秘書には箕曲郷勾村河原社の南、 字塩坪の向に坐せり、 とある。 中世以来社地湮滅して明らかでなかった。 寛文3年、 大中臣精長、 これを宇治山田市の北部桧尻(現伊勢市船江3丁目付近)という小祠の境内に再建、 固より正確な根拠があってのことでなく、 しかもその地が河涯にあり、 洪水の患があるので、 明治11年12月にこれを現在地に移した。
当初の鎮座地には諸説があり、御巫清直は伊勢市小木の曽禰社(箕曲神社に合祀)に比定し、薗田守良は旧地を伊勢市下野に比定している。
一説には、檜尻社が、式内社・川原大社で、現社地(あるいは船江上社)が、本来の式内社・川原淵神社であるという。


河原淵神社

当社地は、むかし、外宮摂社河原淵神社の社地であったとされています。
 戦国時代、荒れるにまかせたその宮跡に、付近の住民が自分達の産土神をまつったようです。祭神は古来八幡神など称していましたが、大正二年、その河原淵神社の祭神澤姫神を当社の主祭神ときめました。
 なお、社名は、むかし船江の上下の二村あり、当社が上船江に位置し、この地の産土社であることをあらわしています。
 また神社の前の池は朧ヶ池といい、かつて宮川の分流がここを通って勢田川にそそいでいた名残です。
 どんな日照りでも、乾れることがないといわれています。

社頭掲示板



河原淵神社

河原淵神社(かわらぶちじんじゃ) 豊受大神宮摂社
澤姫命(さわひめのみこと)
祭神は水の神、澤姫命。神社の前の池は、宮川の分流の名残りを示す朧ヶ池(おぼろがいけ)である。奥の神社は、産土神をまつる地元の神社・船江上社である。

神宮会館



川原淵神社

川原は前に同じ、淵は不知と訓べし、○祭神澤女神、(神名秘書)〇箕輪郷勾村川原社南塩坪向(今俗云桧尾)に在す、(神名略記)〇式四、(伊勢大神宮)渡会宮所摂十六座の第十二に載す、

神社覈録



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