河原神社
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   【延喜式神名帳】川原大社 伊勢国 度会郡鎮座

   【現社名】河原神社
   【住所】三重県伊勢市御薗町新開字下倉304
       北緯34度30分52秒,東経136度43分16秒
   【祭神】川の神・水の神二座
   【例祭】10月 20日神嘗祭
   【社格】載官帳の社であるが、造宮使の造替には預からない社
   【由緒】創祀不詳
       中世廃絶
       寛文3年、 大中臣精長が再興

   【関係氏族】
   【鎮座地】桧木尻が旧地という説あり
        竹鼻の西南、 田圃中の叢林が旧地との説もある

   【祭祀対象】本来は川水を祀る
   【祭祀】中世廃絶
   【社殿】正殿/神明造板葺南面
       玉垣御門/猿頭門扉付・玉垣/連子板打・鳥居/神明造

   【境内社】

外宮の摂社16社のうち第11位である。
宮川の一支流の堤の下にあると案内書にあるが、 現在は道路の両側は開発されて工場、 人家が立ち並び川はない。
延喜大神宮式及び神名式には河 (川) 原大社とある。 神祗本源所引の社記には、 箕曲郷勾村に在り、 祭神は川の神、 水の神の二座とある。 斎宮式には川原社とあり、 宮川下流の田地 (宮川下流の水の湾曲しているあたり) の守護のための神社である。
「大社」とあるのは神名帳の例から考えて、同郡に同名社がある場合には一社を大社とするとされている。
中世以後退廃し、 社地明らかでなかった。 寛文3年、 大中臣精長が地名と伝説を考え現在地に再興、 但し、 両宮摂社参詣記には檜木尻の社をもって本社としている。 神名帳考証再考の勢陽五鈴遺響等はこれにしたがっている。 また、 二宮管社沿革考には、 神社町大字竹鼻の西南、 田圃中の叢林をもって本社の旧地としている。 勾の地名は、 鎌倉時代に光明寺書記等に載っている。 (現在の御薗村の東郷から神社町にわたる地域をさす。)
当社は伊勢市船江の檜尻川沿いにあった檜尻社を社地としていたという説があるが、江戸時代の河原淵神社再興時に檜尻社を河原淵神社の社地に比定したため、更にその北にあるこの地に当社が再建されることとなった。


河原神社

祭神は田地守護の神で宮川下流の守り神、川神(かわのかみ)。末社の毛理神社(もりじんじゃ)祭神は木神(きのかみ)がご同座されている。

神宮会館



川原神社

(一本大神社とあり今印本神祇本源神名秘書に從ふ)
川原は前に同じ○祭神川神、水神、(神名秘書)○(欠く)○式四、(伊勢大神宮)度曾宮所摂十六座の第十一に載す
連胤云、式内小の社にて、大社とあるは当社と近江國栗太郡小槻大社のみ也、当社は上に川原神社あり、小槻大社も同郡に小槻神社あり、共に同称を分むためかくいふにて、大社といふに深き心あるに非ずと知るべし、

神社覈録



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順悠社