棒原神社
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   【延喜式神名帳】棒原神社 伊勢国 度会郡鎮座

   【現社名】棒原神社
   【住所】三重県度会郡玉城町上田辺字朝久田1466
       北緯34度29分56秒,東経136度36分12秒
   【祭神】天須婆留女命御玉
   【例祭】10月 21日神嘗祭
   【社格】
   【由緒】創祀不詳
       中世廃絶
       寛文3年の再興

   【関係氏族】荒木田氏
   【鎮座地】この地が当初鎮座の地か

   【祭祀対象】星・スバル
   【祭祀】中世廃絶
   【社殿】御玉 正殿/神明造板葺南面
       玉垣御門/猿頭門扉付・玉垣/連子板打・鳥居/神明造

   【境内社】

内宮の摂社27社のうち第23位である。
JR参宮線外城田駅近くに丸い丘陵がある。 この丘陵は、 杉の森といわれ、 古墳地帯である。 古代、 この地方を荒木田氏の祖先が開拓したので、 その墳墓を作り伝えたものである。 延喜大神宮式には棒原社、 神名式にも同じく棒原社とある。 社名の棒原は、 この丘陵地一帯の杉原におられた神の社であることを示している。 祭神は天須婆留女命御玉 (アメノスバルメノミコトノミタマ) で、 一説にスバルとは昴星のことという。 この星は、 我が国農村において古くから信仰されていた。 この星の出具合をみて播種するのである。 この御祭神によって、 星の出具合で農耕を占った信仰がこの地方にもあったことがうかがえる。 儀式帳には社殿は二宇で、 一つは天須婆留女命御玉、 もう一つは御前神を祭っていたが、 寛文3年の再興後、 一殿となって今日に至っている。 この神社は奈良時代の鎮祭で、 摂末社では新しいものである。
儀式帳は摂末社の鎮祭を
1 倭姫命の御鎮祭 2 雄略天皇の時代の御鎮祭 3 奈良時代の御鎮祭 の三つとしているが、 これは、 その地方の開拓と、 神社の鎮祭の順序をしめすものである。
皇太神宮儀式帳に四至。東南松原。西沢岡。北道公とある。
訪問した時は偶然遷宮式の直前であった、テントが張られており、新旧2殿が並立していた。
新旧2殿は小釘に至るまで全く同一であった。


棒原神社

棒原神社(すぎはらじんじゃ) 皇大神宮摂社
天須婆留女命御魂(あめのすばるめのみことのみたま)
御前神(みまえのかみ)
祭神は星の出具合いによって農耕を占うと伝えられている神、天須婆留女命御魂(あめのすばるめのみことのみたま)と御前神(みまえのかみ)の二座。この神社は丘陵の上にご鎮座されているが、地元ではこの丘のことを「杉の森」と呼んでいる。

神宮会館



棒原(すぎはら)神社古墳群

玉城町上田辺、集落の北側に独立丘陵があり、山頂には式内社・棒原神社が鎮座しています。この小山全体に41基の古墳群が良好に保存されています。山頂付近に方墳13基、その周囲に円墳28基が分布しており、それぞれの築造領域が明確に区別されているように思われます。

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