外宮の摂社16社のうち第13位である。 山裾の神社。ごく小さな谷の入り口。蛙の多い池がある。 当社創立の由緒については『倭姫命世記』等の倭姫命の遷幸説話の中では何も記されていない。 外宮儀式帳及び延喜大神宮式には山末社とある。 祭神は、 高倉山の山の末にいます神で、 豊宮崎の御田口の山の神。 昔から山末の堰谷に坐す神といわれ、 泉の神である。 中世似來長く廃絶して不明になつていた社地を江戸時代の初期、寛文3年に再興した。 |
寛文再興の社地に対して御巫清直は『二宮管社沿革考』で、山末社のあるとする「宮山」と云ふのは『神名秘書』を見れば分かるやうに、大國玉社、高神や客神のある山のことであり、宮域内の岩戸山の東の谷としたのは的確ではないとする。そして方角が不明であることから先づ外宮所摂の御田口社を角殿と称する宮域の外にある石神に比定する(同書「御田口社」の項参照)。そこより南東の御田道の切通の山麓の井足泉から御常供田への用水道に沿つた南への道の中間に、御田祭のとき田樂をする場所があり、その東側の宮山の西麓が「小梨谷」で山末社の旧跡かとしてゐる。 式内社調査報告 |
山末神社 山末神社(やまずえじんじゃ) 豊受大神宮摂社 大山津姫命(おおやまつひめのみこと) 祭神は山末にご鎮座する御田口の泉の神、大山津姫命。 この神社の前が豊宮崎(豊受大神宮の宮の崎という意味から)の御田と呼ばれる、外宮御料田のあったところである。 神宮会館 |
山末神社 山末は夜萬須恵と訓べし○祭神大山津姫命、(神名秘書)〇旧趾廃亡す、今井足南宮山麓に在す、(神名略記)〇式四、(伊勢大神宮)渡会宮所摂十六座の第十三に載す、神祇本源云、宮山小梨谷御田口社南也、御田口社在井足北從道西」神名略記云、此社亦旧趾不分明、山末今立之於井足南山麓、 神社覈録 |