内宮の摂社27社のうち第20位である。 宮川の南岸近く、道路下の神社。叢林大きいが入り口わかりにくい。 社名は延暦儀式帳には河原神社とあり、 延喜大神宮式には河原社、 神名式には河原神社とある。 佐八という地名は、 元来沢地 (あるいは沢道) の意味で、 昔、 このあたりは宮川の川原で沢地を成していたことを示すもので、 その川原に鎮座することから川原神社の名が伝わっているものである。 倭姫命世記では、 このあたりを通られたとき、 沢道の野原があることをもって 「沢地の小野」 と名付けたという。 また、 同書によると、 大若子命が船でこの地に皇大神をお迎えしたのでここを御船向田国と名付け、 ここから御船で宮川を下り、 五十鈴川の川上に御遷幸されたことを伝えている。 中世に殿舎も頽廃し、社地も不明となるが、寛文3年(1663)大宮司大中臣河辺精長が再興。 本来の社地には竹鼻町西南の畑中の「竹鼻神社」(現在は大口神社に合祀)、船江町檜尻の「川原淵社」などの説がある。 |
川原神社 川原神社(かわらじんじゃ) 皇大神宮摂社 月読尊御魂(つきよみのみことのみたま) 祭神は宮川の守護神と伝えられる、月読尊御魂。社名から往古は宮川の川原で、沢地(現在の地名を佐八という)であったことがうかがえる。月は水の干満に関係あるところから、多く川の神、水の神として信仰を受けられている。 神宮会館 |
川原神社 川原は加波良ど訓べし○祭神月読神御玉○沼木郷佐八村に在す(神名略記)〇式四、(伊勢大神宮)大神宮所摂廿四座の第廿四に載す、〇儀式帳云、称月読神御玉、形無、倭姫内親王定祝、 神社覈録 |