今社
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   【延喜式神名帳】清野井庭神社 伊勢国 度会郡鎮座

   【現社名】今社
   【住所】三重県伊勢市宮町1-1-8
       北緯34度29分38秒,東経136度41分56秒
   【祭神】鹿屋野姫命
        (合祀)八衢比古神 八衢比売神 誉田別尊 大山祇神 菅原道真
        大己貴命 仮屋神 火産靈神 祭神不詳

   【例祭】9月15日 今社大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       明治4年(1871)村社
       同39年12月26日神饌幣帛供進社

   【関係氏族】
   【鎮座地】この地は清野井庭神社の旧地とする
        移転の記録はない

   【祭祀対象】本来は堰を祀る
   【祭祀】江戸時代は「今村社」と称していた
   【社殿】本殿神明造
       拝殿・社務所・手水舎

   【境内社】清川稻荷社

「今」は清川に面した「井庭」または、流水を蓄える「井場」から。この地は清野井庭神社の跡地という。19世紀には「宝殿なく、石壇鳥居あり、社地広く、老樹数株」となっていた。明治44年に神殿、拝殿を建てる。街中の小社であるが活発な神社である。


由緒

当社の鎮座する地は、往古、井庭村或は井場村と称した。
この井庭村は、宮川の分流清川の沿岸地帯の清野と称する原野の一部であるが、『小祠拾』に「井庭ハ今云フ堰ナリ、古ノ井、今ノ如ク土中ヲ掘リテ水ヲ汲ムコトナク、流ノ涯ヲ穿チテ竹木ヲ以テ井ノ如トク囲ミ、其中ヘ川水ヲ引キテ水ヲクム。是ヲ井又井場トモ言フ。是古ノ井ナリ。後世之ヲ井関トイフ。」とあるように清川に井場「堰」を作り、水を汲んだことからこの名があるという。
当今社は、この古称の村名を以て社号としたものであるが、山田十二社の産土神の一つとして、井庭村の産土神として崇敬された社であり、古くは井庭社、今村社、今村殿などと称されたという。
また、『小祠拾』には、「今社上之久保ノ北ニ在、今村社トモ云、宝殿ナクシテ石壇、鳥居アリ、社地広ク老樹数株アリ」とある如く、ただ石壇に霊石を奉安しただけのものだったと言われ、明治44年に神殿、拝殿を造立して、各神霊を奉安したものであると伝えられている。
合祀に関しては、明治41年3月に、常磐横町鎮座の無格社八幡社(譽田別命)、曽祢町細川鎮座の無格社山神社(大山祗神)、曽祢町善光寺竹内世古鎮座の無格社曽祢菅原社(菅原神)曽祢町高柳鎮座の無格社河合稲荷社(宇賀之御魂神)、曽祢町柳の世古鎮座の無格社火除社(大巳貴神)を、翌42年2月には、下仲之郷鳥帽子世古鎮座の無格社神殿社(八衢比古神)常盤茶屋町鎮座の無格社塞神社(八衢比売神)をそれぞれ合祀している。また、合祀年月は不詳であるが、曽祢町今世古鎮座の無格社清川社(神名不詳)、宮川町奥ノ越鎮座の無格社秋葉社(神名不詳)も合祀している。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




今社

所  在 伊勢市宮町1丁目1番8号
主祭神  鹿屋根姫命
     ほかに八衛比古神・八衛比売神などを合祀
     山田産土神の一つ
例  祭 9月15日
特殊神事 2月11日御頭神事
宝  物 御子頭二個
「今」は、宮川分流の清川に面した地名「井庭」、または流水をたくわえる「井場」に発した名で、ここは、外宮摂社の清野井庭神社の跡地とも言われるところです。
 御祭神はこの沃野にあって五穀豊穣をつかさどる神です。
 しかし、19世紀の記録「小祠拾」によれば、昔の本社は「宝殿ナクシテ石壇鳥居アリ、社地広く老樹数株アリ」と言われるように石壇に霊石を奉安したのみの、原始の形をとどめたものでした。
 社殿がつくられたのは明治44年のこと。
 そして、毎年2月、厳寒の御頭神事には、この神苑でドンド火をたきます。

社頭掲示板



今社

祭神 鹿屋野姫命
合祀神 八衝比古神 八衝比売神 誉田別命 大山祇神大 巳貴神 菅原道眞(天神様) 宇賀之御魂神 祭神二座
◎今社鎮祭の由緒
当今社は大和国境大代山(現在の大台ヶ原山)より流れる豊宮川(現在の宮川)の分流で、エゴ(現在の小川町)より午頭社の堀を通り田町(現在の二俣町)田原(現在の辻久留町)より筋向橋(現在浦口町と常磐町の堺)を経て井庭村に通づる清川に沿う一帯の原野を清野と呼ばれ、その一部が井庭村であった。井庭は今の堰で、流水を貯えるところが堰で、井場(井関)と呼んだという。
今社は、山田十二社の産土神の一つで古称の村名を以て社号としたものである。従ってこの井場村の産土神で古くから井庭社、今村社とか今村殿と云い。野を司る神様で五穀豊穣を守られる神様であり、清野一帯の町々が一つの氏子として今社を鎮祭したものである。古書〔小祠拾〕に今社、「今村社トモ云、宝殿ナクシテ石壇、鳥居アリ、社地廣ク老樹数株アリ」とあるが如く、只石壇に霊石を奉安したに過ぎなかったが、明治44年6月17日、神殿、拝殿を造立して各神霊を奉安したものである。
明治4年7月4日社寺領の整理に伴う一郷一社の郷社定則が発せられて当社は村社となり、明治39年12月26日神饌幣帛供進指定となる。明治40年6月29日省告示、同年12月3日三重県訓令により、無格社小祠等が合祀されたものである。
今社の御祭神は鹿屋野姫命で、豊受大神様の幸魂神である。
◎主神鹿屋野姫命
伊勢市宮町1丁目1の8(旧山田下中之郷町字上之久保281番地)に鎮座ましました当社の御主神で豊受大神(外宮様)の幸魂の神で野を司り五穀の守護をせらるる神様である。
◎合祀祭神 
★八衝比古神、八衝比売神(二座)
元下仲之郷鳥帽子世古113番地にあり神殿社又は幸神殿(幸殿)と称す。此の神様はチマタの神(辻々の道路守護即ち道祖神)交通安全の神様である。明治42年2月15日合祀。
もう一座は元常磐茶屋町750番地(通称五軒家)に鎮座の塞の神社で、道祖神即ち交通安全の神様である。
明治42年2月15日合祀。
★譽田別命
元常磐横町458番地(旧河崎世古)に鎮座の八幡様。神功皇后様の御子応神天皇で武即ち武々しい魂と智略をかねそなえた神様である。明治41年3月17日合祀。
★大山祇神(二座)
元曽祢町細川59番地に鎮座ましました山の神様である。明治41年3月17日合祀。
もう一座は元中川原町字奥の越5番地現宮川町に鎮座ましました山の神様である。明治42年12月22日合祀。
山の神で林野の守護を掌る神様である。石壇、鳥居ありて宝殿なし、当所の鎮守にて旧き社なり、毎年11月7日之れを祭る、家々より御膳を供す。又いかなる故にか虫歯を煩う者、当社へ祈願するに速に霊験ありて苦痛を免ると云えり。報塞の幣物には「熔烙」一枚を献ずるを例とす。其外万の願に感慮ありとて諸人信仰せり。〔小祠拾〕
★菅原神(天神様)(二座)
元曽祢町善光寺竹内世古に御鎮座の神様で太政大臣菅原道眞公、即ち天神様と称し学問特に習字、歌道上達の神として信仰されている神様である。通称「曽祢天神」という。明治41年3月17日合祀。今一座は元宮川町奥の越八幡社境内に御鎮座の天神様で通称「筆持天神」という。
明治42年12月22日合祀。明治4年5月13日度会県庁より「町々における氏神社の氏子・神職取調を其の組々に命した」又天神を菅原社と唱うべき事を命じた。
★大巳貴神
元曽祢柳の世古506番地(曽祢町字細川)に御鎮座の「火除神社」と称し大国主命。即ち大黒様で商売繁昌、医薬の神又は情の厚い神として信仰者の多い神様である。明治41年3月17日合祀。
★宇賀之御魂神(二座)
元曽祢高柳277番地に御鎮座の神様で通称「河井稲荷社」という。明治41年3月17日合祀。
もう一座は元宮川奥之越山の神社境内に御鎮座の通称「勘輔稲荷社」である。明治42年12月22日合祀。両二座ともに五穀豊穣の神様で豊受大神様の御別命で、私達にとって生活安定の一番大切な神様である。
★祭神不詳
今社御副神を初め秋葉様二座、疱瘡社等六座ある。
御頭(獅子頭)(宝物)
当今社に蔵している獅子頭を俗に「御頭」と称し、御神体のように尊崇している。「伊勢の八頭」といって今社、上社、坂社、藤社、須原大社、茜社、箕曲中松原社と筋向橋にあった十王堂の落獅子を加えて八頭と称した〔神民須知〕〔古今雑誌〕、又一説に世木社のを加えて八頭というとある〔故実郷談〕。当社の御頭舞は毎年神事の2月11日に舞を神前に奉納後回り順は宮川橋橋上からお頭の化粧なおし即「水鏡」の行事を終えて上回り地区宮川町、常磐、宮町を経え、下回りは宮町、八日市場、大世古、曽祢町の氏子町内各所にて邪気ばらいの舞を舞う。宵宮は2月10日の夜、本祭は2月11日。両日ともドンド火を焚きます。
今社祭典
歳旦祭 (1月1日) 新年の御祭で、一年の息災と幸福繁栄をお祈りするお祭です。
節分祭 (2月節分) 立春の前日で、冬の季節が分れて春に移ると云う意味、豆撒きをし、邪気を払い、新らしい春を迎える祭です。昔は十二月晦日疫鬼を払う追灘(ツイナ)(鬼やらい)。がありますが、これと同じ意味です。この夜はドンド火を焚きます。
御頭神事(オカシラジンジ) 2月11日、神事又は御頭神事といい、伊勢独特の獅子舞を、氏子各地区を廻り邪気を払います。宵祭は2月10日の夜、本祭は11日で両日ともドンド火を焚きます。
春祭 (祈年祭) 2月17日、伊勢神宮では祈年祭と云い、各神社も一様に今年の五穀豊穣を祈願する祭です。
初午厄除祈願祭 (3月初午) この祭は二月初め午の日に行う稲荷社の祭です。ところが今は初午と云えばお寺の行事のようになっています。初午は神宮暦によると2月の最初の午の日でありますが、気候のよい3月の初の午の日を選んで「三月初午」として厄年に当る方々の厄除祈願を致します。
天神祭 (入・進学祭・書道祭) 3月25日、今社には曽祢天神様と筆持天神様が合祠になっている。天神様で知られている菅原道眞公をお祭りする。
天皇誕生祭 (天長節) 4月29日、今上陛下の誕生日をお祝いしての御祭りを行います。
稲荷大祭 (境内社) 7月15日、五穀豊穣、家内安全、商売繁昌、福徳円満の特別祈願が行なわれます。当日は境内に献燈の「ボンボリ」を奉納します。
今社大祭 (會式) 9月15日、主神鹿屋野姫命をはじめ合祀の神々様をお祭りする、当社の祭典の重大な行事の日です。
神嘗祭 (伊勢大祭) 10月15・16・17日、伊勢神宮のお祭りで、俗に「伊勢大祭」と云い、神宮に新穀を奉る大事なお祭りで、当社もそれをお祝して祭典を行います。
七五三祭 (11月15日) お子様の七、五、三のお祭で子どもさんの将来の幸福と健康発展を祈願する祭典を致します。特に神前にお供えしたお守、千歳飴、笹竹を差上げます。
秋祭 (11月23日) 新嘗祭と云って神嘗祭についで五穀豊穣を感謝する大切なお祭です。
歳晩祭 (12月31日) 氏子の方々の一年間の生活安定を感謝するとともに、今まで知らずにうけてきた罪穢を払う大祓を行い、清らかな心と体で新年を迎えます。
月次祭 (毎月1・15日) 氏子の方々の家内安全と健康繁栄を御祈りする祭典です。
諸祭 神前結婚、初参宮、宅神祭、地鎮祭、修祓、交通安全の車のお祓等社務所まで御申込下さい。
◎お家の神棚様には新らしく受けられた神宮大麻、氏神様大麻、其の他お受けになられた神様をお祭り下さい。
清川稲荷社(假屋神)
旧宇治山田市曽祢町今世古124番地、高柳瓢箪町北端、川涯にある小祠で清川明神とも云ふ。
御鎮座の稲荷社は元来稲生が転じて稲荷様と云ふ。
五穀豊穣を掌る神様で宇賀の御魂が御主神となっている。
通称「清川稲荷」と申し、月水(月経)不順の女がその神を信じ、清川に沐浴齋戒すれば月水調ふと云はれていた。昔一貴女の帯下(こしけ)の病になやんで此の川に投身したのが、或者の夢に「吾死して神となる吾を神とし祀らば婦人病の爲に霊験も示すべし」と告げたので比処に祠を建てたのだと博へられている。〔小祠拾〕
今は今社に合祀(明治41年3月17日)せられている。
假屋とは月水の女が本家を出でて假の屋に住むと云ふ土地の風習によっての方言である。
●主なる年中行事
1月1日 初詣・歳且祭
2月   節分節分祭
2月10・11日 御頭神事
(10日宵祭・11日本祭)
2月17日 春祭(祈年祭)
3月初午初午 厄除祈願祭
3月上旬 天神祭
4月29日 天皇誕生祭
7月15日 稲荷大祭
9月15日 今社大祭(會式)
10月15・16・17日 伊勢大祭(神嘗祭)
11月15日 七五三祭
11月23日 秋祭(新嘗祭)
12月31日 歳晩祭(大抜)
毎月1・15日 月次祭
●氏子
宮川町・常磐町・宮町・八日市場町・曽祢町・大世古町で1,530戸である。

由緒書



今社

当社の鎮座する地は、往古、井庭村或は井場村と称した。この井庭村は、宮川の分流清川の沿岸地帯の清野と称する原野の一部であるが、『小祠拾』に「井庭ハ今云フ堰ナリ、古ノ井、今ノ如ク土中ヲ掘リテ水ヲ汲ムコトナク、流ノ涯ヲ穿チテ竹木ヲ以テ井ノ如トク囲ミ、其中ヘ川水ヲ引キテ水ヲクム。是ヲ井又井場トモ言フ。是古ノ井ナリ。後世之ヲ井関トイフ。」とあるように清川に井場「堰」を作り、水を汲んだことからこの名があるという。
 当今社は、この古称の村名を以て社号としたものであるが、山田十二社の産土神の一つとして、井庭村の産土神として崇敬された社であり、古くは井庭社、今村社、今村殿などと称されたという。また、『小祠拾』には、「今社上之久保ノ北ニ在、今村社トモ云、宝殿ナクシテ石壇、鳥居アリ、社地広ク老樹数株アリ」とある如く、ただ石壇に霊石を奉安しただけのものだったと言われ、明治44年に神殿、拝殿を造立して、各神霊を奉安したものであると伝えられている。
 合祀に関しては、明治41年3月に、常磐横町鎮座の無格社八幡社(譽田別命)、曽祢町細川鎮座の無格社山神社(大山祗神)、曽祢町善光寺竹内世古鎮座の無格社曽祢菅原社(菅原神)曽祢町高柳鎮座の無格社河合稲荷社(宇賀之御魂神)、曽祢町柳の世古鎮座の無格社火除社(大巳貴神)を、翌42年2月には、下仲之郷鳥帽子世古鎮座の無格社神殿社(八衢比古神)常盤茶屋町鎮座の無格社塞神社(八衢比売神)をそれぞれ合祀している。また、合祀年月は不詳であるが、曽祢町今世古鎮座の無格社清川社(神名不詳)、宮川町奥ノ越鎮座の無格社秋葉社(神名不詳)も合祀している。

三重県神社庁



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