清野井庭神社
きよのいばじんじゃ 所在地ボタン 社名ボタン















   【延喜式神名帳】清野井庭神社 伊勢国 度会郡鎮座

   【現社名】清野井庭神社
   【住所】三重県伊勢市常磐1-1197
       北緯34度29分41秒,東経136度41分49秒
   【祭神】屋船神(草野姫命(かやのひめのみこと))
       『神名秘書』草神
       『類聚神祇本源』「草野姫命、裏書屋船命」
       『神三郡神社参詣記』草野雄命又ノ名野槌
       『勢陽五鈴遣響』屋船命
       『神名帳考証』草祖草野姫命
       『勢国見聞集』茅野姫命
       『神社覈録』句々廼馳命

   【例祭】10月 19日神嘗祭
   【社格】載官帳名16処の1
       幣帛を伊勢国より宛行われる13社の1

   【由緒】創祀不詳
       中世廃絶
       寛文3年(1663)6月21日大宮司精長再興
       昭和20年7月29日、宇治山田空襲により被災

   【関係氏族】
   【鎮座地】今社(イマノヤシロ)が旧地とする
        寛文3年(1663)大宮司精長この地に再興

   【祭祀対象】潅漑用水の井堰の神
   【祭祀】中世廃絶
   【社殿】正殿/神明造板葺南面
       玉垣御門/猿頭門扉付・玉垣/連子板打・鳥居/神明造 所

   【境内社】

外宮の摂社16社の第9位である。
山田上口駅近くの住宅地の中に鎮座する。
延喜大神宮式及び神名式に記載あり。 祭神は御鎮座本縁に屋船神、 神名祕書に草神、 神祗本源所引の社記に草野姫命とある。
このあたりは古くは清野という原野で、その井庭(田畑に水を引き入れるためのセキ)の神をまつったのが、この神社の起りといわれている。
屋船神は、 屋船久々能遅命とか、 屋船豊宇気姫命とか見えており、 豊受大神の宮殿、 家屋に幸い給う神霊を称する名。 草野姫はその分霊という、 中世以後社地不明、 寛文3年、 摂社再興のとき、 大間国生神社の東方に再興。
『宇治山田市史』では、往古の大間国生神社は江戸時代の同社よりも広い社地を持っていたと考えられるが、清野井庭神社の再興時点での社地を基準に考えてしまったため現社地に鎮座したのであり、今社が式内社の清野井庭神社の本来の社地であるとしている。


清野井庭神社

清野井庭神社(きよのいばじんじゃ)豊受大神宮摂社
草野姫命(かやのひめのみこと)
祭神は屋船神のご分霊と伝えられる、草野姫命。このあたりは古くは清野という原野で、その井庭(田畑に水を引き入れるためのセキ)の神をまつったのが、この神社の起りといわれている。

神宮会館



清野井庭神社

清野は幾與能と訓べし、井庭は為婆と読り、○祭神句々廼馳命〇沼木郷大間社東野(今俗云小間社)に在ず、(神名略記)○式四、(伊勢大神宮)度會宮所摂十六座の第九に載す、〇御鎮座本紀云、屋船命、草木霊、今號度曾郡坐清野井庭神社也、
神名略記に、祭草野姫(草神)と云り、連胤按るに、御鎮座本紀に、屋船命と云ひ、大殿祭祀詞に、汝屋船命爾天津奇護言乎以弖言鎮白久、云々、平気久安久奉護留神御と乎白久、屋船久々能遅命、(是木霊也)どあれば、草野姫とは差定めがたし、故に今是を改む、略記は、神名秘書に草神とのみあるより混れたるベし、

神社覈録



伊勢国INDEXへ        TOPページへ


順悠社