度会大国玉比売神社
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   【延喜式神名帳】度会乃大国玉比売神社 伊勢国 度会郡鎮座

   【現社名】度会大国玉比売神社
   【住所】三重県伊勢市豊川町豊受大神宮域内
       北緯34度29分6秒,東経136度42分29秒
   【祭神】弥豆佐佐良比売命・度会大国玉命
       『倭姫命世記』『神名秘書』『類聚神祇本源』大己貴命・佐佐良比売命
       『社名略記』『神名帳考証』大国玉命・佐佐良比売命
       『神名帳考証再考』天日別命
       『勢陽雑記拾遣』大己貴命の子佐良姫命
       『神宮典略』大国玉神の姫神

   【例祭】10月 20日神嘗祭
   【社格】
   【由緒】創祀年代や鎭座の次第は不明
       当社は常に存在していたと思われる。

   【関係氏族】
   【鎮座地】この地が当初鎮座の地

   【祭祀対象】この地方の地主の神
   【祭祀】中絶することなく継承
   【社殿】正殿
       玉垣御門・玉垣・鳥居

   【境内社】

外宮の摂社として16社の第4位。
外宮神域の東端にある。
大黒谷と称する小さな谷間にある。 老杉が覆う境域である。参道左手斜め上の神社は伊我理神社である。
このあたりの山を高神山という。 この神は、 古くから高神山を中心とする度会地方の地主の神として仰がれてきた神である。
神武天皇の命でこの地を国見に来た度会氏の祖である天日別命が、 賀利佐峰(かりさのみね。外宮背後の高倉山の一部)を「渡り」、岡本の地で大国玉命、弥豆佐佐良比売命の二柱に「会った」ことでこの地方を「渡相(ワタラヒ)」と呼ぶことになった。この時祭神両神は持っていた弓をかけて橋を作って出迎えたという。
中世多くの摂末社が廃絶したが、当社は常に存在していたと思われる。
度会之大国玉姫の社(わたらいのおおくにたまひめのやしろ)と称していたが、現在は『延喜式神名帳』の記載に従い表記される。


度会大国玉比賣神社

度会大国玉比賣神社(わたらいおおくにたまひめじんじゃ)
豊受大神宮摂社
大国玉命(おおくにたまのみこと)
弥豆佐佐良比賣命(みずささらひめのみこと)
祭神は度会地方の地主神二柱、大国玉命と弥豆佐佐良比賣命。林生した老杉が覆う境域である。参道左手斜め上の神社は伊我理神社である。

神宮会館



度會乃大國玉比売神社

度會は郡名に同じ、大國玉比売は前に同じ、○祭神大國玉命、佐々良比売命、(神名略記)○継橋郷宮山高神山南尾崎(俗云大國谷)に在す、(同上)○式四、(伊勢大神宮)度曾宮所摂十六座の第五に載す、○倭姫世記云、風土記曰、大國玉神遣使、奉迎天日別命、因令造其橋、不堪造畢、于時則令以梓弓爲橋而渡焉、爰大國玉神資美豆佐々良姫命参來、迎相土橋郷岡本村、
連胤云、当社は内宮所摂の大國玉比売神社に相対して祭れるなるべし、

神社覈録



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