度会国御神社
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   【延喜式神名帳】度会国御神社 伊勢国 度会郡鎮座
          (旧地)度会国御神社【旧地】

   【現社名】度会国御神社
   【住所】三重県伊勢市豊川町豊受大神宮域内
       北緯34度29分19秒,東経136度42分9秒
   【祭神】彦国見賀岐建與束命
       『神宮典略』度会の大国魂神
       『摂社古今次第』祭神不詳

   【例祭】10月 19日神嘗祭
   【社格】
   【由緒】神倭磐余彦天皇の御宇に崇祭られたという
       中世社地に教王山世義寺が建ち当社は中絶した
       寛文年中八日市場町(現在、山田工作場周辺)に世義寺と共に(再建して)移す
       その後現地へ遷

   【関係氏族】
   【鎮座地】外宮西域の外壕の外山田前野村にあり
        寛文年中八日市場町に再建
        その後現地へ遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】中世廃絶
   【社殿】正殿
       玉垣御門・玉垣・鳥居所

   【境内社】

外宮の摂社16社の第3位である。。
豊受大神宮域内、北御門口火除橋を過ぎ、御厩の手前右に参道がを200m程行くと、老杉、巨楠の森厳な自然林のなかにあり手前に度会国御神社、奥に大津神社がある。
度会の国を支配された神をお祭りした神社であり、祭神は伊勢国造及び外宮度会神主の祖先である。 天日別命の子である。
磯部の有力者であった度会氏に豊受大御神(トヨウケビメノカミ)の祭祀をゆだねた際に、度会氏が祀っていた神々も伊勢神宮の中に組み込まれたものと考えられ、当社もその一つとされる。
創建当初の鎮座地は山田前田村であったとされ、中世には世義寺が境内に建てられたことにより一時祭祀が断絶するが、江戸時代の寛文年中(1661−72)に世義寺が移転し、度会国御神社の神霊も同地に移された。移転前の世義寺は、現在の伊勢市八日市場町、神宮山田工作所付近にあった。後に度会国御神社の遥拝所であった現在地に、寺から分離して遷座した。
前の鎮座地は、八日市場町(現在、山田工作場周辺)であるという。


度会国御神社

度会国御神社(わたらいくにみじんじゃ) 豊受大神宮摂社
彦国見賀岐建與束命(ひこくにみがきたけよつかのみこと)
祭神は伊勢国造・度会神主の祖。
参道から脇道に入いり、200mほど進む老杉、巨楠の森厳な自然林のなかにあり、奥の神社は大津神社である。

社頭掲示板



度會國御神社

度会は郡名に同じ、国御神は久爾都美加美と訓べし、○祭神彦国見加伎建與束命○沼木郷山田原大神宮北(或云國見社)に在す、(神名略記)○式四、(伊勢大神宮)度會宮所摂十六座の第四に戴す、○倭姫世記云、以天日別命子、崇祭、是度曾国御神社也、彦國見賀岐建與束命是也、」御鎭座本紀云、彦國見賀岐建與束命、號度會国見神社也、

神社覈録



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