宮川北岸の山裾に鎮座する。榎村神社の伝承はあるが詳細は不詳。 当神社地は南北朝時代(1334〜1392年)に北畠家の被官で荻原隠岐勝藏の邸宅跡であったので、神社名も村名も「荻原」と名付けられた。 |
由緒 明治40年合祀令により、荻原村に鎮座する81社を現在地に合祀いたしました。 記録によりますと中心社となりました江馬八柱神社は創建月日は不詳ですが、今から千数百年前(平安時代)茂原区に祀られていました榎村神社(式内社)だとのことです。その後近辺に八王寺社が多いので八王寺神社と呼称されておりましたが、数百年前より江馬(当時荘間)に遷座されました。その後明治3年2月当時の和歌山藩より「八柱神社」と改称命令通達で、右名称にしました。次いで明治40年合祀令で村内の主神社(村社7、無格社10、境内社64)を合祀、当時の村名「荻原」を社名としました。尚、昭和61年秋季大祭に旧満蒙双龍開拓団の氏神神社だった双龍神社の御霊を中国政府の特別友情の計らいにより返還をうけ当社に合祀いたしました。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
荻原神社 明治40年合祀令により、荻原村に鎮座する81社を現在地に合祀いたしました。記録によりますと中心社となりました江馬八柱神社は創建月日は不詳ですが、今から千数百年前(平安時代)茂原区に祀られていました榎村神社(式内社)だとのことです。その後近辺に八王寺社が多いので八王寺神社と呼称されておりましたが、数百年前より江馬(当時荘間)に遷座されました。その後明治3年2月当時の和歌山藩より「八柱神社」と改称命令通達で、右名称にしました。次いで明治40年合祀令で村内の主神社(村社7、無格社10、境内社64)を合祀、当時の村名「荻原」を社名としました。尚、昭和61年秋季大祭に旧満蒙双龍開拓団の氏神神社だった双龍神社の御霊を中国政府の特別友情の計らいにより返還をうけ当社に合祀いたしました。 三重県神社庁 |