朽羅神社
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   【延喜式神名帳】朽羅神社 伊勢国 度会郡鎮座

   【現社名】朽羅神社
   【住所】三重県度会郡玉城町原字森前272
       北緯34度29分1秒,東経136度35分1秒
   【祭神】千依比古命・千依比売命
       『神名秘書』水神

   【例祭】10月 20日神嘗祭
   【社格】
   【由緒】倭姫命の創祀という
       中世廃絶
       寛文3年(1663)に現在の鎮座地に再興

   【関係氏族】
   【鎮座地】現地が当初鎮座の地とされる
        中世廃絶

   【祭祀対象】
   【祭祀】中世廃絶
   【社殿】正殿/神明造板葺南面
       玉垣御門/猿頭門扉付・玉垣/連子板打・鳥居/神明造

   【境内社】

内宮の摂社27社のうち第12位である。
田地の中の小島。叢林目立つ。
皇大神宮儀式帳には、 久麻良比 (クマラヒ) 神社とあり、 延喜大神宮式には朽羅社、 同神名式には朽羅神社と見えている。 儀式帳には、 倭姫命の定祝と記されている。
中世廃絶し、寛文3年(1663)に現在の鎮座地に再興。
社名の「クチラ」は籠 (コモル) であるといわれる。 コモルとは、 神のコモル所の意で、 この森は昔から非常に神聖視された森であったことがうかがわれる。
一名、 宮田の森ともいわれ、 古来、 雨乞が行なわれた神社である。 ひでりが続くと村人たちはこの森に集まり、 鉦と太鼓とほら貝にあわせて「ア−メ、 タ−モレ (雨賜れ) タ−ベヨ−」 とくり返し、 くり返し雨乞の歌を歌った。 すると一両日中に雨が降ったという。
御巫清直は再興地が旧社地ではないと述べ、江戸時代には既に廃村となっていた旧原村の産土神が旧社地であるとした。「朽羅」を「くたみ」と読むと主張する伴信友は、朽羅神社の読みが二見(ふたみ)に似ていることから、二見に鎮座していた神社ではないかと解釈している。


朽羅神社

朽羅神社(くちらじんじゃ) 皇大神宮摂社
千依比賣命(ちよりひめのみこと)
千依比古命(ちよりひこのみこと)
祭神は田野の農耕神二柱と伝えられる、千依比賣命(ちよりひめのみこと)と千依比古命(ちよりひこのみこと)。
田畑の中の大きな森にあり、地元では「宮田森」と呼んでいる。社頭には天保3年(1832)の常夜燈が建てられている。

神宮会館



朽羅神杜

朽羅は久知良と読り○祭神千依比売命○田邊郷東原北(俗云宮田森)に在す、(神名略記)○式四、(伊勢大神宮)大神宮所摂廿四座の第九に載す、○儀式帳云、称大歳神児千依比売命、形石坐、倭姫内親王御世定祝、

神社覈録



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