内宮の摂社27社のうち第18位である。 垂仁天皇の御宇倭姫命の皇大神を奉載してこの地に御遷幸の時、荒前比売命 (あらさきひめのみこと) を鎮祭という。 小井戸口山の頂上に鎮座する、 眼下は一面の伊勢湾である。 『儀式帳』の四至には「東北大海、南西山」と記されている。 この社は元神前岬の燈台付近にあつたが、 風潮で危険ため、 また祭典にも行きにくいところなので、 享和年間(森之内浜辺)に、文化3年(所登瞼岨な崖の上)に、明治40年(1907)6月に今のところに移転した。 古代より通行の難所を、荒ぶる神の仕業としてその神を祀ったとものと思われる。 皇大神宮末社の許母利神社と荒前神社が同座している。 岬の一帯は「御坐岩」「笏立石」「まないた石」「祓島」「潜島」などのある岩場で、贄海神事場所となつていた。 |
贄海神事 贄海神事場ハ神前社ノ下の処ニて、かり家形を建、内宮十員ノ禰宜衆御着坐なり、前なる大岩ニて荒蠣海松等をとりて由貴の御饌に供進らるなり、笏立石ニ笏を立ならべ置て、此石ハ海ノ崖ニ大岩の前ニ三つあり、東のはしの石なり、夫より大岩にて右ノ贄物取給ふト云、此大岩のおくにまないた石あり、此辺を祓嶋ト云、大濱より鯛七枚持來り、潜嶋の前海中にまな板石あり、其上ニて料利して献上するト云、鯛一枚ハ長官江持行、残リハ此処にてにたきして一口上るト云、此にたき役入ハ、江村傳八ト云内より來て勤るト云、家形を作るハ松下より來て致すト云、赤飯ハ内宮より持参なり、此御坐岩と云ハ□大神宮御鎭座ノ時御休被遊し岩ト云 『神三郡神社参詣記』(明治初年) |
神前神社 神前神社(こうざきじんじゃ) 皇大神宮摂社 荒前比賣命(あらさきひめのみこと) 祭神はこの地方の土地の神、荒前比賣命。100m近い山頂に鎮座し、樹間を通して眼下は一面の伊勢湾である。末社の許母利神社(こもりじんじゃ)祭神は粟嶋神御魂(あわしまのかみのみたま)と荒前神社(あらさきじんじゃ)祭神は荒前比賣命(あらさきひめのみこと)がご同座されている。 神宮会館 |