神前神社
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   【延喜式神名帳】神前神社 伊勢国 度会郡鎮座

   【現社名】神前神社
   【住所】三重県伊勢市二見町松下字尾谷1407-5
       北緯34度30分21秒,東経136度48分11秒
   【祭神】荒前比売命
   【例祭】10月 23日神嘗祭
   【社格】
   【由緒】垂仁天皇の御宇倭姫命定祝
       中世廃絶
       寛文3年(1663)神前崎の先端に再建
       明治40年(1907)6月に今のところに移転

   【関係氏族】
   【鎮座地】元神前岬の燈台付近にあつた
        寛文3年(1663)神前崎の先端に再建
        享和年間(森之内浜辺)に遷
        文化3年(所登瞼岨な崖の上)に遷
        明治40年(1907)6月現在地に遷

   【祭祀対象】通行の難所の地
   【祭祀】中世廃絶
   【社殿】正殿神明造板葺
       玉垣御門猿頭門・玉垣連子板打・鳥居神明造

   【境内社】

内宮の摂社27社のうち第18位である。
垂仁天皇の御宇倭姫命の皇大神を奉載してこの地に御遷幸の時、荒前比売命 (あらさきひめのみこと) を鎮祭という。
小井戸口山の頂上に鎮座する、 眼下は一面の伊勢湾である。
『儀式帳』の四至には「東北大海、南西山」と記されている。
この社は元神前岬の燈台付近にあつたが、 風潮で危険ため、 また祭典にも行きにくいところなので、 享和年間(森之内浜辺)に、文化3年(所登瞼岨な崖の上)に、明治40年(1907)6月に今のところに移転した。
古代より通行の難所を、荒ぶる神の仕業としてその神を祀ったとものと思われる。
皇大神宮末社の許母利神社と荒前神社が同座している。
岬の一帯は「御坐岩」「笏立石」「まないた石」「祓島」「潜島」などのある岩場で、贄海神事場所となつていた。


贄海神事

贄海神事場ハ神前社ノ下の処ニて、かり家形を建、内宮十員ノ禰宜衆御着坐なり、前なる大岩ニて荒蠣海松等をとりて由貴の御饌に供進らるなり、笏立石ニ笏を立ならべ置て、此石ハ海ノ崖ニ大岩の前ニ三つあり、東のはしの石なり、夫より大岩にて右ノ贄物取給ふト云、此大岩のおくにまないた石あり、此辺を祓嶋ト云、大濱より鯛七枚持來り、潜嶋の前海中にまな板石あり、其上ニて料利して献上するト云、鯛一枚ハ長官江持行、残リハ此処にてにたきして一口上るト云、此にたき役入ハ、江村傳八ト云内より來て勤るト云、家形を作るハ松下より來て致すト云、赤飯ハ内宮より持参なり、此御坐岩と云ハ□大神宮御鎭座ノ時御休被遊し岩ト云

『神三郡神社参詣記』(明治初年)



神前神社

神前神社(こうざきじんじゃ) 皇大神宮摂社
荒前比賣命(あらさきひめのみこと)
祭神はこの地方の土地の神、荒前比賣命。100m近い山頂に鎮座し、樹間を通して眼下は一面の伊勢湾である。末社の許母利神社(こもりじんじゃ)祭神は粟嶋神御魂(あわしまのかみのみたま)と荒前神社(あらさきじんじゃ)祭神は荒前比賣命(あらさきひめのみこと)がご同座されている。

神宮会館



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