江神社
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   【延喜式神名帳】江神社 伊勢国 度会郡鎮座

   【現社名】江神社
   【住所】三重県伊勢市二見町江992
       北緯34度30分10秒,東経136度47分20秒
   【祭神】長口女命・大歳御祖命・宇加乃御玉命
       『皇太神宮儀式帳』には「称天須婆留女命見、長口女命形在水。又大歳御租命。形无。又宇加乃御玉」とある。

   【例祭】10月 23日神嘗祭
   【社格】
   【由緒】垂仁天皇25年倭姫内親王定祝
       建久3年(1192)『皇太神宮年中行事』に「江神社祝堅田神社祝等所役」
       中世廃絶
       寛文3年(1663)に再興

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初鎮座の地は大江寺の地とする
        現在地は巻江明神の地
        寛文3年(1663)この地に再興

   【祭祀対象】
   【祭祀】中世廃絶 江戸時代は「八王子社」と称していた
   【社殿】正殿/神明造板葺南面
       玉垣御門/猿頭門扉付・玉垣/連子板打・鳥居/神明造

   【境内社】

内宮の摂社27社のうち第17位である。
参宮線の線路北、トンネル近く。集落の南西。山裾。線路に接している。
五十鈴川の河口の江に倭姫命が巡行なつたとき、佐美川日子と出会い、命が土地の名前を尋ねたのちに江社を定められたという。
現在の江神社境内地は、 寛文3年(1663)断絶していたこの神社を再興したときに、 旧地がわからずこの地が選ばれたものである。
往古の位置は『皇太神宮儀式帳』にその四至を「東溝井郷、南西山、北即神田」とある。
@もともとは今の大江寺の地にあつた、寺の兆域が儀式帳の四至に符合する(そうとも思えないが=阜嵐健)。
A江神社の域内に、文治2年に内宮一禰宜成長が天毘寺を建立し江寺と呼んでいた。
B中世に社寺共に衰え、大江寺として中興したときに、江神社は南の田畝の中に遷移した、これが現在の栄野神社。
C寛文の時には「巻江明神」の地に江神社が再興。
『二見町史』は、江神社が明治以前は「八王子社」と呼ばれ、祭神を「氏神佐美都彦命」としていたと記している。


江神社

江神社(えじんじゃ) 皇大神宮摂社
長口女命(ながくちめのみこと)
大歳御祖命(おおとしのみおやのみこと)
宇加乃御玉命(うかのみたまのみこと)
祭神はこの地方の土地の神にして五穀守護の三柱の神、長口女命と大歳御祖命と宇加乃御玉命。俗に「蒔絵(巻江)の明神」とも称される。五十鈴川の河口で入江になっているところからの社名である。

神宮会館



江神社

江は假字也○祭神長口女命、大歳御祖命、宇加乃御玉命、〇二見郷江村に在す、(神名略記)〇式四、(伊勢大神宮)大神宮所摂廿四座の第十四に載す、倭姫世記云、佐美津彦参相支、問給、此河名何、白久、五十鈴河後白支、其処江神社定給支、』儀式帳云、称天須婆留女命児長口女命、形在水、又大歳御祖命、形無、又宇加乃御玉、倭姫内親王定祝、
類社
当國鈴鹿郡江神社
連胤按るに、当社同躰なるべし、異説あれど論にならず、

神社覈録



順悠社

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