内宮の摂社27社のうち第17位である。 参宮線の線路北、トンネル近く。集落の南西。山裾。線路に接している。 五十鈴川の河口の江に倭姫命が巡行なつたとき、佐美川日子と出会い、命が土地の名前を尋ねたのちに江社を定められたという。 現在の江神社境内地は、 寛文3年(1663)断絶していたこの神社を再興したときに、 旧地がわからずこの地が選ばれたものである。 往古の位置は『皇太神宮儀式帳』にその四至を「東溝井郷、南西山、北即神田」とある。 @もともとは今の大江寺の地にあつた、寺の兆域が儀式帳の四至に符合する(そうとも思えないが=阜嵐健)。 A江神社の域内に、文治2年に内宮一禰宜成長が天毘寺を建立し江寺と呼んでいた。 B中世に社寺共に衰え、大江寺として中興したときに、江神社は南の田畝の中に遷移した、これが現在の栄野神社。 C寛文の時には「巻江明神」の地に江神社が再興。 『二見町史』は、江神社が明治以前は「八王子社」と呼ばれ、祭神を「氏神佐美都彦命」としていたと記している。 |
江神社 江神社(えじんじゃ) 皇大神宮摂社 長口女命(ながくちめのみこと) 大歳御祖命(おおとしのみおやのみこと) 宇加乃御玉命(うかのみたまのみこと) 祭神はこの地方の土地の神にして五穀守護の三柱の神、長口女命と大歳御祖命と宇加乃御玉命。俗に「蒔絵(巻江)の明神」とも称される。五十鈴川の河口で入江になっているところからの社名である。 神宮会館 |
江神社 江は假字也○祭神長口女命、大歳御祖命、宇加乃御玉命、〇二見郷江村に在す、(神名略記)〇式四、(伊勢大神宮)大神宮所摂廿四座の第十四に載す、倭姫世記云、佐美津彦参相支、問給、此河名何、白久、五十鈴河後白支、其処江神社定給支、』儀式帳云、称天須婆留女命児長口女命、形在水、又大歳御祖命、形無、又宇加乃御玉、倭姫内親王定祝、 類社 当國鈴鹿郡江神社 連胤按るに、当社同躰なるべし、異説あれど論にならず、 神社覈録 |