内宮の摂社27社のうち第25位である。 牛尾崎池というおおきな灌漑用水の西の小山の上に鎮座している。 参道は石で敷き詰められている。 皇大神宮儀式帳には坂手神社、 延喜大神宮式及び神名式には坂手国生神社とみえている。 坂手とは上田辺の山中で丘陵をなす地の坂のあたりにあることからその名としたものである。 鎮座の由緒としては大神宮本紀に、 垂仁天皇の御世、 倭姫命が皇大神を奉載してこの地に遷幸されたとき、 国つ神の高水上神 (高水神) がお迎え申し上げた。 そのときこの国の名は岳高田深坂手国といい、 田上御田を奉られた功績に対して倭姫命は、 そこに、 坂手の社を定められたと伝えている。 近世初期にはその所在は失われていた。 寛文3年に行われた諸摂社の再興の際当社もその対象となり、復興のための調査が行われたが、「数多」の土地が候補としてあげられたものの、「神書」と合致する場所はなく、ただ上田辺村の乾方五六町の地点が方位ともに期待したところと一致し、ここに社地が定められた。 しかし、現在地の南方の薬師堂のある岡であるとの説もある。 |
坂手国生神社 坂手国生神社(さかてくなりじんじゃ) 皇大神宮摂社 高水上神(たかみなかみのかみ) 祭神はこの地方の灌漑用の水を守る神、高水上神。この神社は潮尾崎(うしおざき)の池と道をはさむ、小高い丘に坂のあたりにあり、社名の由来といわれる。 神宮会館 |
坂手國生神社 坂手は佐加天と訓べし、國生は前に同じ、○祭神高水上命○田邊郷氏社北岡(今上田辺村乾也)に在す、(神名略記)〇式四、(伊勢大神宮)大神宮所摂廿四座の第廿一に載す、○倭姫世記云、從其処幸行、高水神参相支、汝国名何問給、白久、岳高田深坂手國止白弖、田上御田進支、即其処坂手社定給支、」儀式帳云、称大水上見高水上、形石坐、倭姫内親王定祝、」神名略記云、寛文3年建社此地、堀出上古器物土瓶六口、所謂氏社荒木田二門氏社也、社今則亡、 神社覈録 |