国津御祖神社
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   【延喜式神名帳】国津御祖神社 伊勢国 度会郡鎮座

   【現社名】国津御祖神社
   【住所】三重県伊勢市楠部町字尾崎2132
       北緯34度28分33秒,東経136度44分16秒
   【祭神】宇治比売命・田村比売命
   【例祭】10月 22日神嘗祭
   【社格】
   【由緒】倭姫内親王御世定祀
       中世廃絶
       寛文3年(1663)12月22日現地に再興

   【関係氏族】
   【鎮座地】この地が当初鎮座の地とされる

   【祭祀対象】土地の産土神
   【祭祀】江戸時代は「一元社」と称していた
   【社殿】正殿
       玉垣御門・玉垣・鳥居

   【境内社】

内宮の摂社27社のうち第11位である。
神社の境内北側は五十鈴川が流れ、神社の前の道路は皇大神宮御常供田(神田)ヘの神事道である。
四郷小学校北、皇大神宮御常供田の北西に鎮座する。
境内には、同じく式内社 皇大神宮摂社・大土御祀神社が鎮座している。前の方の神社が大土御祖神社、 後ろの方が国津御祖神社である。
『皇大神宮儀式帳』に「坐地大土神社之四至内」と見えるから古来、社地の位置は大土御祖神社と同域である。
寛文3年(1663)再興のとき大土御祖神社の旧社地の特定が容易であったため、同じ社地の国津御祖神社も旧地に復興された。
祭神は国生の神の子、 宇治比売命と田村比売命をお祭りしている。 国津御祖神というのは、 楠部の里を守護する国の神のことで、 その神名を称えていうときは宇治比売命といい、 また楠部の守り神として田村比売命と申し上げる。
この付近を昔から宇治狭長田といい、 宇治六郷といって、 岩井田、 岡田の上二郷 (現在の宇治)、 北中村、 楠部、 朝熊、 鹿海の下四郷 (旧四郷村) との村々が五十鈴川に沿い、 田野、 村落を形成している。
ここには幾多の神々が鎮祭されているが、 そのうち、 楠部の御神田を中心として、 ここに大土御祖神と国津御祖神とが祭られていることは、 ここが狭長田の中心であり、 古代生活の根拠地であったことを示している。 神社の存在は、 そのまま古代生活の精神的象徴であり、 中心であることを看取することができる。 また、 これらの神社が倭姫命の当時に鎮座されたことは、 皇大神宮の鎮座と並んで、 古くからこの土地の産土神として祭られていたことを示している。 寛文3年現地に再興。


国津御祖神社

国津御祖神社(くにつみおやじんじゃ)皇大神宮摂社
宇治比賣命(うじひめのみこと)
田村比賣命(たむらひめのみこと)。
祭神はこの土地の産土神(うぶすなのかみ)二柱、宇治比賣命(うじひめのみこと)と田村比賣命(たむらひめのみこと)。末社の葦立弖神社(あしだてじんじゃ)祭神は玉移良比女命(たまやらひめのみこと)がご同座されている。手前の神社は大土御祖神社である。

神宮会館



國津御祖神社

國津は久爾都と訓べし、御祖は前に同じ、〇祭神宇治比売命村田(或は田村に作る)比売命、○宇治郷大土御祖神社地内艮に在す、(神名略記)○式四、(伊勢大神宮)大神宮所摂廿四座の第八に戴す、〇儀式帳云、称国生神児宇治比売命、形石坐、又比売命、形無、倭姫内親王御世定祝、

神社覈録



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